第3回教職大学院を開催しました
12月6日(土)、教育学部1号館大会議室において、第3回教職大学院研究会を開催しました(主催:教職大学院/共催:附属教職支援センター)。佐伯胖先生(東京大学名誉教授)をお招きして、「あらためて『教えること』と『学ぶこと』を問い直す」と題する基調講演が行われました。第2部では修了生である鈴村一将先生(鈴鹿市教育委員会指導主事)による「『教師の学び』と指導主事の関わり」と題する研究発表が行われる予定でしたが、都合により資料配布のみとさせていただきました。これらに先立つ午前の部としては「修了生の実践報告会」が行われました。基調講演には88人、午前の部は15人、のべ103人の本学研究科教員、教職大学院生・修了生、学部生、県内外の教育関係者の皆様にご参加いただきました。

終了後のアンケートでは、「また研究会に参加したいと思いますか」という質問への肯定的な回答が100%であり、次のような感想が寄せられました。
第1部
○ 「遊ぶ」は能動ではなく中動態であるというのは、目から鱗の発見でした(事前に書籍でも読ませていただきました)。意思を持った動作主は存在せず、「遊ぶ」という状況がまずあって、その中に遊ぶ人がいて、変容していく。学校での学びも実際そうであったら、どんなに素晴らしいだろうと思います。
○ お話の中で、授業の「プラン」とは、単一の授業展開を考えるだけではなく、起こりうる多様な事態を予測し、学習者一人ひとりの気づきや疑問から出発できるように準備することであると学び、違和感の正体がようやく腑に落ちました。
○ 「教え主義」にならないように生徒主体の授業の大切さ、中動態的教育観の特徴、さわる、とふれるの違いなど、たくさんの事を学びました。
○ 教職大学院卒であるがゆえに、すぐに教室の事実を理論の枠組みで見ようとしていた自分を反省させられました。子どもの立場になって、「かもしれない」世界を共に面白がれる教師としての立ち位置を意識していきたいと感じました。
○ 理論的な理解から問い直すことがいかに大切であるか気づくことができました。たずねたり、聞く、どうしたの?と問い直すことが結論であると聞いたときにはピンと来ていませんでしたが、講義を聞き終えて頭の中を整理をしていると「教え主義」は正しいといえないところもあると感じました。
○ 初任の頃は入念に準備して計画通りに進む授業にこそ価値を見出していましたが、今はいかに教師が前に出ず、生徒自身で学びを進めていける授業が求められています。そのせいか教師がほとんど授業の準備をせずその場の生徒に多くをまかせる授業が増えてきている気がします。今日のお話ではさまざまな方向性を想定し、その想定に沿ったいくつもの引き出しをもって授業に臨み、そのときの生徒の姿を見てどんな関わりができるかを瞬時に判断していくことがこれからの教師に求められることであると理解しました。そのための準備を怠ってはならないと思いました。
第2部(資料に対するコメント)
○ 鈴村さんの現在における課題や問いを丁寧に捉え、理論背景を含めたうえで課題解決に向かう姿勢に大変勉強させられました。また、修了生としての姿勢は見本となるかと思います。
○ 鈴村さんの発表は、とかく遠い存在として指導主事を捉えがちな現場の先生方に、ぜひ知ってほしい内容でした。
○ 学校にとっては介入(強制)にならないように学校と関わっていきたいと考えています。
○ 指導主事さんの悩みは、なかなか知らない人が多いと思います。鈴村さんのスライドを読んで、悩みながらも現場の先生方に寄り添おうと奮闘されているお姿を感じました。
○ 指導主事には校内研修で何度もお世話になりました。日常的に関わりがない人なので壁があるのは確かですが、不快に思ったことはありません。ニ人称的アプローチをしてくれていたからだと思います。
○ 子どもの姿の共有という点で、時間や単元の中でどのように子どもが変容したか、変容させたいかを一緒に考えてきましたが、二人称的アプローチが抜けていたことに気づきました。佐伯先生のお話からも子どもの内側から外側をのぞくような共同注視を心がけていきたいと思いました。
午前の部
○ 修了生でも理論的枠組みから自身の実践を省察する発表に刺激を受けました!修了しても学び続けるために、貴重な発表を聴くことができました。
○ 3名の修了生に発表いただき、たいへん内容の濃いものでした。この午前の部の充実をこれから図っていきたいと思います。
このたびの研究会は、昨年度の取り組みを継承し、修了生たちが中心となって主体的・協働的に「学び続ける教師」を支援することを意図して企画・設定されました。この研究会は、次年度以降も継続的に開催していきたいと考えています。



