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山田雄司人文学部教授が松江忍者についての調査を行いました

島根県松江市からの依頼で、2018年から3年計画で山田雄司人文学部教授が松江忍者についての調査を行いました。

松江城

松江城

松江城は山陰地方で唯一の現存天守で、国宝5城のうちの1つです。関ヶ原の戦いの後、堀尾氏が築城して城下の整備を行いました。そのとき伊賀出身の忍びや鉄砲隊も浜松から連れてきました。

松江の忍者は、天正伊賀の乱によって伊賀から逃れた人たちが松江藩大名 堀尾吉晴に召し抱えられ、堀尾氏の松江入府とともに松江に移住し、鉄砲隊や忍びとして活動しました。そして、堀尾家が断絶すると次の仕官先を求めて、中国・四国地方の大名に仕えることになりました。その様子が、島根大学附属図書館所蔵「堀尾期松江城下町絵図」、岡山大学附属図書館池田家文庫「奉公書」、徳島大学附属図書館所蔵「成立書」などに記され、今回の調査で伊賀者が各地に展開していく様子がはっきりとわかりました。

松江城から伊賀者が住んでいた地域を望む
伊賀者の住んだところ
徳島市伊賀町
徳島市伊賀町


松江城下の清光院下(現在の外中原町付近)に伊賀者たちが住みました。島根大学附属図書館所蔵「堀尾期松江城下町絵図」には「伊賀某」として30人の名前が記され、「早道」も10人見られます。

堀尾家断絶後は高松藩、さらには徳島藩に仕えた伊賀者たちがありました。現在でも徳島市伊賀町としてその名前が残っています。

今後はこうした研究を観光などにも活かしていけたらと思います。