- 学長ブログ ある地方大学長のつぼやき -

三重大学長の「つぶやき」と「ぼやき」のブログです。

波乱の生涯を送った日本人女性医師との偶然の出会いが劉徳潤さんの人生を決定づけた
~河南師範大学でのすばらしい出会い(その3)~

 翌12月16日、李さん、劉さんとお嬢様の淙淙さんに、飛行機の出発前のわずかの間を利用して鄭州市にある河南博物館を案内していただくことになりました。途中、黄河を渡りましたが、橋は10km以上もあるのに、橋の下は大部分が河川敷を活用した農地で、水が流れているのは一部でした。木曽川や長良川の方が、水が豊富かもしれません。近年、問題になっている黄河の水不足のせいですね。

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陶虎

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安陽殷墟出土・甲骨文字・牛の肩甲骨

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 商丘市永城出土・漢墓・縷玉衣

 さて、河南博物館は中国でも3本の指に入る博物館で、おびただしい数の貴重な歴史的文物が納められ、1時間ではとても見学できません。大急ぎでさわりの部分だけ見させていただきました。亀をモチーフとした建物に入ると、各時代ごとの部屋には私どもが教科書で習った殷の時代の甲骨文字や、日本では見ることのできない貴重な青銅器がずらりと並んでいます。中でも、中国政府が国外へ持ち出し禁止に指定している青銅製の酒器を置く台(雲紋酒禁)には、きわめて微細で入り組んだ彫刻が施されており、今でも、どのように鋳造されたかよく分からないとのことでした。劉さんの日本語での説明にもたいへん熱が入ります。

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南陽市淅川県(せきせんけん)出土・神獣・(当時の楚の都 丹陽)

 

 

 

 

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 安陽殷墟出土・婦好墓・尊(酒器)胸を張って目を大きくする梟(婦好は商王武丁の后、女性将軍。赫赫たる功績を立てた。)

 

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淅川県(せきせんけん)出土・王子午鼎

 

 

 

 

08122407.jpg  淅川県(せきせんけん)出土・王孫誥編鐘 08122408.jpg

商代・鼎 

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 淅川県(せきせんけん)・雲紋酒禁

 今回、劉徳潤さんには、日本語の通訳として最初から最後までお世話をいただきましたが、劉さんのご専門は日本文学で、河南師範大学外国語学院教授、日本語系主任として教鞭をとっておられます。最近執筆された日本文学に関するご著書を今回の訪問の記念品としていただきました。一つは2007年出版の「小倉百人一首」で、日本語の現代語訳とともに中国語で解説を加えられています。挿絵はお嬢様の淙淙さんの手によるものです。二つめは2009年1月出版、つまりできたてほやほやの「一生必読的日文名篇佳作(一生の必読名作)」で、尾崎紅葉の「金色夜叉」から渡辺淳一の「鈍感力」まで、71の日本現代文学の作品を紹介しておられます。この本のカバーの裏側に劉さんの写真が載っていますが、その背景は伊勢神宮で、今年の4月に三重大を訪問された時の写真です。

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 日本の歴史のことは私どもより良く知っておられます。私が「三重県の“三重”の由来をご存じですか?」と質問したら、「古事記に由来が書かれていますね」とのご返事をいただいたので、こちらのぼろが出ると思って、それ以上日本のことを質問することはやめました。劉さんは古代から現代までの日本文学を幅広く研究をしておられますが、現代文学の研究者は中国に約100人いるが、古代文学の研究者は劉さんを含めて約10人しかいないとのことでした。日本は、海外におけるこのような日本の研究者を最大限大切にしないといけないと思います。

 私は劉さんが、どのようにして日本語を学び、日本文学を研究されるようになったのか興味をもち、質問しました。たいへん驚いたことに、劉さんは中国にいながら日本語を学び、日本文学を研究されたのです。そのきっかけは文化大革命の最中にたまたま近所に住んでいた日本人の女性医師、住吉里子さんと知り合ったことでした。住吉さんのお宅へ何度も通い、直接日本語を教えてもらったことが、その後の劉さんの人生を決定づけました。

 劉さんにとって一生の恩人である女性医師住吉さんとの出会いを記した一文と写真をいただきましたので、ブログの読者の皆さんにもご披露させていただきます。戦争の時代に翻弄され波乱の生涯を送った一人の日本人女性と劉さんとの出会いが描かれており、読む者の胸を打つ一文です。若い人たちに、いや、すべての日本人にもぜひ読んでいただきたいと思います。(女性医師住吉さんとの出会いを記した劉さんの一文.pdf)

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 あわただしく河南博物館の見学を終え鄭州空港へ。国際交流センター長の李さんから、今後の河南師範大学と三重大学の交流のレベルを、ぜひもう一段高めたいという言葉をいただきましたので、この4月から情報・国際交流担当の副学長になられる松岡さんと、さっそく具体的な相談を始めてほしいことをお伝えしました。

 また、今回、同行していただいた劉さんの娘さんの淙淙さんは、来年三重大学の大学院を受験される予定とのことです。劉さんは淙淙さんに、自分と同じ日本文学の研究者になって欲しいという希望をもっておられ、淙淙さんも、お父様の気持ちを汲んで、その道を目指しておられます。淙淙さんに「たいへんですがぜひ頑張ってください。」と申しましたら、「父は厳しく私を育てました。困難なことがあっても頑張ります。」という返事が返ってきました。

 私が中学生の時に読んだ亀井勝一郎氏の人生論のキーワード「人生邂逅なり」(邂逅:偶然の出会い)を、ほんとうにその通りだなあと改めて実感し、劉さん父娘のすばらしい夢がかなうことを祈りつつ、鄭州空港を飛び立ちました。