- 学長ブログ ある地方大学長のつぼやき -

三重大学長の「つぶやき」と「ぼやき」のブログです。

新年あけましておめでとうございます(その1)
~目的としての資本主義から手段としての資本主義へ~

新年あけましておめでとうございます。 私の年賀状をブログの読者の皆さんにもお届けします。

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昨年は、何から何までとにかく激動の年でしたね。

米国のサブプライムローン問題に端を発して、世界の金融・経済が100年に一度と言われる危機に陥り、ガソリン代が急激に上がったと思えば急激に下がり、輸出産業を中心に派遣切りが行われ、学生の内定取り消しなどもおこり(幸い三重大生には現時点では報告されていませんが)、私どもの身近な生活にも大きな影響が出ました。庶民は何も悪いことはしておらず、一生懸命に働き続けているだけなのに、いったい誰の責任なのかと言いたくなりますね。

テレビや新聞では、ついこの前までは、新自由主義(米国のレーガン大統領や英国のサッチャー首相に代表される市場原理を至上とする主義)にもとづいて、アメリカの金融・経済や企業経営に比べて、日本の改革が進んでいないという経済評論家が幅をきかせていましたが、世界の金融・経済の破たん後は以前は劣勢であった、新自由主義の行き過ぎに意義を唱えていた経済評論家が意見を述べているような気がします。

実は、私も新自由主義政策の行き過ぎに異議を唱えていた一人で、昨年の4月18日のブログでも紹介しましたが、「大学マネジメント」という雑誌に「地方大学が潜在力を発揮できる政策を~目的としての競争原理から手段としての競争原理へ」という論説を載せています。新自由主義的発想にもとづいて導入された国立大学法人化の「競争原理」は諸刃の剣であって、薬にも毒にもなり、我が国全体の大学のレベルの向上のための手段として使われるのであれば薬になるが、競争原理自体が目的化してしまうと毒になるという主張です。

同じことは、大学だけではなく、世界の経済についても言えるのではないでしょうか?これからは、サステナビリティー(持続可能性)を通り越して、サバイバビリティー(人類の生存)が問われる時代になると言われていますが、今まさに求められていることは人類の生存を可能とする「手段としての資本主義」ということだと思います。

さて、2009年はいったいどのような年になるのでしょうか?

うし年の歴史を振り返ると、金融・経済についてはあまり良いめぐりではないようです。1973年は国際通貨危機再燃、円変動相場制移行、1985年はプラザ合意、1997年は山一証券廃業、北海道拓殖銀行の破たんが起こっています。今年は、昨年の世界金融破たんに引き続いて実体経済の悪化がさらに進行し、我慢の年になりそうですね。

 しかし、「牛の歩みも千里」ということわざがあり、ゆっくりではあってもじっと我慢をして歩んで行けば、成果をあげることができるということですし、また、「牛に引かれて善光寺参り」という説話もあって、思いがけないことで、良い方に導かれることがあるかもしれません。

世界経済の日の出を期待しつつ、伊勢志摩で初日の出の写真を撮りました。

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