- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

近大マグロが教えること

釣り損ねた魚がこんなに大きかったと知って痛恨の極です。それはクロマグロの完全養殖という快挙を成し遂げた近畿大学水産研究所の熊井英水教授のこと。二つの線が交差しかかるが離れ、結局は結び合わなかった熊井先生と三重大学。もし結び合っていたら今頃は三重大クロマグロになっていたかもしれません。それを思うと最初の言葉となるのです。

熊井先生は長野県塩尻市片丘生まれとのこと。以前にはよく出かけた松本カントリークラブの近くの丘陵地帯です。高校時代に三重県・鳥羽で、初めて海水に触れ、舐めて『しょっぱいな』と感じたと話しています。生物好きの少年の海へのあこがれはそこから始まり、鳥羽の地名は終生忘れられないのではないでしょうか。私も山村の生まれであるので、海へのあこがれは強く一度は岸に寄せる波のざわめきを聞きながら過ごしたいと願い続けています。

大学は新しくできた広島大学水産学部へ。父親との話で金のかからない地方大学を志望していたことと広島高師(現広島大学)出身の恩師の勧めで広島を選んだとのこと。三重県立大学の国立移管がもう少し早かったら熊井先生の選択肢に三重大学水産学部があったかもしれません。それでも神の指示はまだ三重に向いていました。卒業後は三重県庁で仕事をすることを希望し、めでたく合格したが、『空きがない』と採用されなかった。当時の三重県庁人事担当者への恨み節の一つも出てきます。その結果、近大農学部水産学科職員として社会人生活をスタートし、現在があります。熊井先生と三重県とは最後まで合い交わることがありませんでしたが、紀伊半島がキーワードと考えるとそれもよしとすべきでしょう。

近大で魚の養殖の仕事にたずさわって、1970年ごろよりクロマグロの養殖に取り組みます。30年以上を要して世界初のクロマグロの「完全養殖」に成功します。この間のことを振り返って、先生は私学である近畿大学のよさを語ります。「総長(大学の最高責任者)は、結果がでなくても研究予算を削らなかったし、成果が挙がらなくて研究を止めようと思った時も、『続けなさい』といってくれた。これが国立大学だったらそうはいかなかった」人を見抜く力を持つ近大の指導者に心より敬意を表するとともに、自らもそうありたいと強く願うところです。そこには熊井先生の「成功するんだ」との信念と情熱、そして血のにじむような努力があったはずです。

「あきらめない」が今回のメッセージです。