- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

杜の都仙台から環境へ

11月24日に仙台でプロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスが優勝パレードを行い、沿道に21万人を超えるファンが集まり、日本一となった喜びを選手とともに分かち合った。東北が一つとなった瞬間である。東日本大震災以後苦難の連続の中、必死の努力が少し報われた気持ちになれた時でもあろうか。私の極めて親しい友人が星野仙一監督の親類に当たることから、監督と親交を結ぶ幸運に恵まれた。監督から三重大学の研究助成として多大の寄付も頂いている。その友人と一緒に毎年数回、仙台の球場に出かけネット裏の特等席で応援している。グランドで監督と一緒に練習を見学したり、監督自らがネット裏の我々の席に挨拶に来てくれたりで、野球少年であった私には至福の時である。そして、東北の人たちの熱狂的声援に支えられ、このチームはホームのゲームではめっぽう強い。私もそれに呼応するかのように興奮してくる。スポーツの持つ魅力である。

どこのチームのファンであるかに論理的な根拠はない。小さい頃は巨人ファンであった。それは片田舎の子供にとってラジオやテレビの放送が巨人戦しかなかったことが理由であった。大阪に住んでいるときは地元である阪神タイガースや阪急ブレーブスを応援していた。縁あって両チームのキャンプドクターを数年経験し、プロスポーツの厳しさに触れることができた。三重県に来てからは中日ドラゴンズを応援することになった。現在三重中日ドランゴンズ後援会の副会長でもある。そして、友人の影響で楽天ゴールデンイーグルスを応援している。節操がないと叱られかもしれないが、ファンになるというのはその程度のきっかけであるのが大半であろう。

昭和52年(1977年)10月30日に結婚した私たち夫婦は新婚初夜を仙台のホテルで迎えた。そろそろ外国への新婚旅行が主流になりかけていた頃であったが、あえて東北を選んだのは学生時代より杜の都仙台への憧れがあったためだったかもしれない。結婚後35年以上経過しているが、結婚記念日に特別な行事をするわけではないが、その日に「ありがとう」か「ごくろうさん」の言葉をかけるようにしている。それがないと記念日を忘れたのではないかと非難の目で見られるだけでなく、実害が予想される。女性の感性と男性のそれの違いはあるが、男性の譲歩が家庭円満の秘訣であろう。現代のカップルは逆なのかもと考えたりするが? 当日宿泊したホテルは既に閉館して取り壊されているが、われわれ夫婦はなんとか持ちこたえている。

山本周五郎氏は私の好きな作家のひとりである。学生時代、彼の作品を読みあさった中で、「樅ノ木は残った」は気に入っている作品の一つである。人形浄瑠璃や歌舞伎の演目である仙台藩伊達家の騒動を題材とした「伽蘿先代萩」(めいぼく せんだいはぎ)では、家老の原田甲斐はお家乗っ取りを図る悪役である。その原田甲斐を主人公とし、幕府による取り潰しから藩を守るために尽力した忠臣として新しい解釈を加えた小説である。たとえ自らが悪人の汚名を着ようとも、幕政から仙台藩を無事に存続させることにあった。庭にある樅の巨木に向かって「私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私はこの木が好きだ」と作者は己の孤高を原田甲斐に語らせている。

仙台青葉山のもみの木は現在まで残り、大都会の真ん中に貴重な森が残っている。そして「森全体」が国の天然記念物に指定され保護されている。かつてこの大地は巨木の森におおわれ、そこで人々は動植物と共存して繁栄してきた。それが日本の多くの場所で失われてきているが、この山ではその面影をいまだに色濃く残し、もっとも原生的な森林の一つとして生物学的多様性がきわめて高いとして注目を集めている。現代に続く継続性を見ることができるのは仙台の多くの人々の努力に負うところが大きい。

津市美杉の奥にある三重大学の演習林も生物多様性に優れた森林であるが、それが間伐の不足や獣害などにより侵されつつある。大学上げての取り組みが求められている。持続可能な社会を作るための環境教育に先進的である三重大学の真価が問われる問題の一つでもある。