- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

南米三重大学同窓会

本年8月にブラジル・サンパウロ大学やペルー・リマのラ・モリーナ農業大学との大学間連携協力協定の締結のために南米を訪問しました。南米の前後にアメリカのボストンのハーバード大学、インディアナポリスのインディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校、サンディエゴのカリフォルニア大学サンディエゴ校も訪れていくつかの大学と学生交流や研究協力の話し合いもしましたので2週間以上に及ぶハードな旅となりました。帰りの飛行機が遅れたため成田で余分な一泊も加わりいささか疲れましたが、稔の多い出張となり喜んでいます。南米は地球一周の半分の所ですので、世界一周の航空チケットを購入した方が安上がりとの話も聞きました。

 手元に南米三重大学同窓会の名簿があります。会員は20人です。ほとんどが農学部(現生物資源学部)の卒業生です。サンパウロやその近郊に住んでいる方が多いのですが、アマゾンやアルゼンチン在住の人もいます。この数は国立大では1位、私立大学も含めても3位です。昭和30年代から40年前半までの三重大学は大きな夢とそれをかなえようとする実行力に溢れた学生が数多くいたことの証拠です。今もその伝統を受け継いでいてほしいと願っていますが、どうでしょうか?

私のサンパウロ滞在中にその皆さんが同窓会を開催してくれました。2世、3世の家族を含めて総勢60人の皆さんが集まって私たち三重大学の一行を歓迎し、同窓生も久しぶりの再会を楽しんでいました。会長の徳力啓三氏(昭和40年卒 農学部)、幹事の野口博史氏(昭和39年卒、農学部)、角谷博氏(昭和44年卒、農学部)らを中心に実に仲の良い集まりです。徳力氏はアマゾンの開発を長年手がけ、現在は貿易商として活躍しています。唯一の女性卒業生の松尾真名子さん(昭和31年卒、農業部)は同窓の夫と二人でブラジルに移民、数年前にご主人を亡くされましたがお子さんやお孫さんと暮らしています。最年長の広岡優氏(昭和24年卒、高等農林)は体調不良で欠席でしたが、二人の娘さんが顔を見せてくれました。二人とも現地の高等教育機関で活躍しています。高松寿彦氏(昭和42年卒、農学部)は現在でもアマゾン開発の旗手として大活躍とのことで、日本のテレビなどでもよく取り上げられています。一色田眸氏(昭和35年卒、農学部)はわざわざアルゼンチンのブエノスアイレスから参加してくれました。大成功をおさめられ、現在でも現役で活躍中です。最年少の長尾直洋氏(平成14年卒、人文学部)は若者代表として同窓会の支えとなって欲しいと全員が願っていました。私も大いに期待しています。

その他、多くの同窓生と話をしましたが、紙面の都合上書ききれませんのでお許しください。いずれの皆さんもブラジルに大きな夢を抱き、待ち構える数々の苦労をものともせずに現在の成功を勝ち取った自信にあふれた表情でした。そして、三重大学の学生諸君へのメッセージは「夢を持て」「人にばかり頼らずに自分で道を切り開け」「自信をもってことに当たれ」など、今の日本に欠落しかかっている「志」と「心意気」に関することでした。祖国にかける期待も想像以上に大きなもので、日本の発展を異国の地で切望している気持ちが心痛いほど伝わってきました。経済的な発展に比例して、若者の精神的逞しさが低下していくようにみえることについて大きな危惧を抱いていました。教育者として夢と志をどのように育むのか、そのことを実現してほしいと何度も何度も繰り返しお願いされました。

ハワイや米国本土や南米移民は戦前と戦後では少し違いがあるように感じました。戦前の移民は主として農業労働者としてで、その過酷さは想像を絶するものがありました。多くの人が異国の地に倒れ、その目的を実現できなかった人も数多くいたとの記録も残されています。その中での成功ですから彼らの苦労は現代のわれわれの思いを超えたものだったでしょう。戦後の移民は少し違ったようです。技術者移民が多かったこと、相手国の受け入れ態勢の整備や戦前移民の人々の援助などで戦前に比べると恵まれた環境であったとのことです。それでも異国の地での仕事は多くの苦労を伴ったことでしょうが、彼らの夢にかける努力がそれを乗り越えたのでしょう。三重大学の同窓生の皆さんも苦労話より同僚や家族の助けで今があることの話がほとんどでした。現代の日本で失われつつある共助の精神や家族への思いがそこには強くいきづいていました。

南米三重大学同窓会も高齢化が進んでいますが、今後皆さんの健康な生活の継続を切望しています。そして、三重大学の若い人たちがブラジルの大地に積極的に挑戦することを願っています。2か月以上要した船旅は1日ほどのフライトに替わりました。決して遠くはありません。夢に向かっての挑戦です。