- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

仕事について考える

自分のことは自分で決めるという自己決定主義というべき価値観が若者の間で支持されている。うまく機能すれば人の生き方や考え方が自立している積極的な側面と、悪くすれば単なるわがままや身勝手な行動ととらえかねない。自分のことを自分で決めるためには相当覚悟がいる。それなりの知識や見識も必要となる。若い時代には教わること、立派な先輩の生き方をロールモデルとして自らの生き方を考えることも重要であろう。それぞれの大事な局面で迷いのない決定などはあり得ないし、決定することよりもむしろその後が大切である。決めたことが正しかったと信じて一生懸命に努力することであろう。決定に迷って何もしないのが最も悪い。

自己決定に際して考えておかなければならないことがいくつかあるだろう。その一つは働くことの意義についてである。仕事は義務でなく、仕事を通して何かを実現したいという意欲を持ち、労働に生きがいを感じることができれば最高であろう。そして、働くことで人とのつながり、社会に参加でき、生きていくために必要な能力を身につけることができれば理想的である。はじめからそんな意識で仕事をしている人は少なく、生きるために、食べるために、自らの趣味を実現するために働こうとする。そして結果論として先のことに結びつけばよい。

近世以前は文明の価値観は余暇におかれていた。自由時間にこそプラスの価値があり、労働で多忙なことはマイナスであるとされていた。それが資本主義の黎明期にはそのような考えが後退し、労働に大きな価値を置くようになり、労働を人間の本質とみなす考えが成立してくる。「生きるために働いている」あるいは「働くために生きている」ということになり、そして更には市場原理に基づく成果主義が強調されるために、労働が一層過酷になってくる。「成果を上げないものは食うべからず」の精神が尊ばれ、競争はますます激しくなる。

ここに格差が生じる。競争に公平性が担保されれば格差が生じるのはやむをえず、それをセーフティーネットで埋めればよいとするのが資本主義の原理であろう。労働をいかに社会に位置づけるか、格差はどこまで是正すべきかは重要な政治哲学であるはずだが、現代の政治にそれができているとは思えない。われわれ国民自身も成長戦略ばかりに目を奪われ、成長の限界やこの国の将来像に目を向けようとしない。われわれ自身がこの国の将来像をどう描くかが最も大切で、それを国に任せることではないはずである。

仕事と家庭の調和(ワークライフバランス)で私生活も充実できるように職場や社会環境を整備することが求められている。最も身近に語られるのは仕事と育児の両立についてであるが、日本人の満足度は欧米に比べて低い。就労時間の長さや休暇の取りづらさ、柔軟性のない就労時間、通勤時間など、“時間”を要因と考えている勤労者が圧倒的に多く、生活に時間をかけたくてもできない事情があまりにも多すぎることが原因と言われている。本当にそうであろうか? 育児にはこのことが当てはまるかもしれないが、家庭を大切にすることができない理由として時間を上げることについてはいささか疑問に思う。仕事に集中と緩和をつければ家庭や余暇を楽しむ時間は作れるはずだ。そして、地域コミュニティーとのつながりを強めれば仕事以外の楽しみも見つけることができるであろう。多くの日本人の「仕事大好き」が一番の原因ではと考えるが如何?

暑い夏の到来である。日中暑いのは我慢できるが、夜まで温度が下がらずに寝苦しいのは耐え難い。数週間の休暇を取って避暑地で家族とともに趣味を楽しみたいとの思いは強い。その決定に躊躇するのにはいくつかの理由がある。一つは家族、特に妻の説得である。日頃は積極的に会話や行動を共にしていないため、自分の都合だけでは思い通りには事が進まない。もう一つは仕事上のことである。「自分がいなければ」との思いであろう。自分がいなければこの組織は動かないとの自負心は仕事をする上では大切であるが、「余人に替えがたし」との言葉は虚構であり、代わりはいくらでもいることも知らなければならない。それを知れば、休暇を取りやすくなる。
来るべき秋に向けてエネルギーの蓄えに努めようではありませんか。