- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

カラスに想いをはせる

先日、ゴルフ場で妻の鞄のファスナーを開けて中の飴玉を取る、実に賢いカラスに出会った。別のホールでは家内がショットをしようとすると「わっふぁふぁ、ワハハ」との鳴き声を出すカラスもいた。それにびっくりしたのでもなかろうが大ミスショットである。おそらく以前に誰かがミスショットをしたのを友達が大笑したのを学習したのではと思われる。確かにこのホールのこの場所はミスをしやすいロケーションである。笑うことのできない私は知らぬ半ベーを決め込む。ここで変に慰めでもしようものなら、益々ご機嫌斜めとなる。妻にとっては厄日の一日である。
カラスはコミュニケーション能力も高く、鳴き方や音階で情報を交換する。人間がやっていることを真似る習性も身に着けているようだ。恐るべしカラスである。人も話し方や声調で他人の気持ちを推し量ろうとするが、時には気が付かなかったり誤解したりして相手を傷つけることがあるがカラス並みの感性を身に着けたい。

カラスは鳥類のなかでも最も知能が発達しているとされる。ある程度の社会性を持っており、協力したり、鳴き声による意思の疎通を行ったりしている。先述したのとは別に、電線にぶら下がる、滑り台で滑る、雪の斜面を仰向けで滑り降りるなどの遊戯行動をとることも観察されている。何種類かの色を識別でき、人間の個体を見分けて記憶できるだけでなく、植物・家畜やペットなどを認識できるといわれている。

カラスの賢さを示す例は枚挙にいとまがない。硬くて自身の嘴だけでは砕けないものを防波堤や建物の屋上などの硬い場所に落として割る行動が見られたり道路にクルミを置き、自動車にひかせて殻を割るという行動が、日本の至る所で報告されている。簡単な道具を使ったり、小枝を加工し道具を作る例もあるといわれている。雛(ひな)の時期から人間に飼育された個体は、キュウカンチョウと同じように人間の言葉や犬の吠え声などを真似ることもできるようになるらしい。

カラスは古来、吉兆を示す鳥であった。神武天皇の東征の際には、3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」がタイマツを掲げ導いたという神話があり、日本サッカー協会のシンボルマークにまでなっている。世界各地で「太陽の使い」や「神の使い」としてあがめられてきた鳥で、朝日や夕日に向かっているように見えるカラスが飛ぶ姿を目にした当時の人々がその性質と太陽と結びつけ、神聖視したとの説がある。また、鳥葬の風習がかつてあった地域では、カラスは天国へ魂を運ぶ、死の穢(けが)れを祓(はら)ってくれる、あるいは神の御使いであるなどと崇められている。

野口雨情作詞の童謡「七つの子」は最も広く知られた楽曲のひとつである。「烏なぜ啼くの 烏は山に 可愛い七つの 子があるからよ 可愛 可愛と 烏は啼くの 可愛 可愛と 啼くんだよ 山の古巣へ 行つて見て御覧 丸い眼をした いい子だよ」カラスに愛着を持った歌である。われわれ世代が子供時代に夕焼けの中カラスが「カーカー」と泣き出すと家路を急いだものである。それが田舎の原風景であった。そのほか日本の歌の中ではカラスは一般的によく見られている鳥であろう。ここでのカラスには不快感はない。

しかし、住宅地や繁華街のごみ置き場の略奪行為には目に余るものがある。こちらが少しでも油断しようものなら、ごみ集積所周辺は足の踏み場もなくなる。大いに迷惑する鳥であるため、捕獲して処分が必要と感じている人も多いと思うが、黒い羽毛が悪や不吉の象徴のように思えて手を出すのに躊躇する。物語で悪魔や魔女の使いや化身のように死を連想させる。現代では好ましくない鳥の代表であろうか。立ち位置により見方や考え方が大きく変わるので、評論については慎重であるべし。

烏の行水(すぐに風呂から上がってしまうこと)、闇夜に烏(見分けがつかないことの例え)、烏合の衆(統制の取れていない集団をさす言葉)となるのか、烏の濡れ羽色(しっとりと濡れたような黒色 烏の羽と同様に黒髪を指す場合が多い)、三羽烏(さんばがらす、三人組のたとえ)となるのかは皆さんの努力次第である。

折角素晴らしい才能や頭脳を有しながら、それを生かすことができずに暗闇の中に埋没しないためには、一人では何もできないことを知り、多くの友と協力することを実行して欲しい。