- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

長寿

私のごく親しい知り合いで今年88歳を迎える老婦人がいます。早くにご主人を亡くされ、その後二人の子供を育てながら商売を成功させた気丈夫な人です。現在は長男が後を継ぎ益々繁盛させています。しかし、未だ強い影響力を有していると人づてに聞いています。老いてますます盛んなのは素晴らしいことで、80歳まで生きる女性の約10人に一人は百寿者になるとの推計値も出されています。88歳の女性はおそらく5-6人に一人は100歳の長寿を迎えることができるのでは想像します。彼女にはぜひとも百寿者なってほしいと強く願っています。ごく最近、曾孫を授かったと聞いていますので、その子の花嫁姿をみるまで元気でいてほしいものですね。

「八十八」の字画を詰めると「米」の字に通ずるから米寿というのはご存じのとおりです。江戸時代になってからは、親類・縁者を招き、一家一門の長老の寿福や家門の繁栄を喜び合う宴席を催すのが一般的となり、今に及んでいます。還暦(60歳)、古稀(こき)(70歳)、喜寿(きじゅ)(77歳)に次ぐ最終の長寿の祝いとして、行われてきましたが、高齢化の著しい今日では、卒寿(そつじゅ)(90歳)、白寿(はくじゅ)(99歳)の賀寿が追加され、百寿者も増加しています。その数は現在約5万人、2050年には70万人に達すると推計され、世はまさに超高齢社会です。

長寿を尊ぶ思想は、儒教に根差したもので、日本には平安時代に伝わり、貴族間で広まったとのこと。室町時代の末期になってから現代のように、十干十二支が一巡りする還暦を一つの節目として祝い、これに数々の賀寿が続くしきたりとなったようです。還暦では「暦が一巡し赤ちゃんに戻る」という意味で赤い衣服(頭巾やちゃんちゃんこなど)を贈る習慣があり、赤い色は魔除けの力があると考えられため、産着によく使われていたことからこの贈り物がなされています。私も60歳の時、同僚や後輩からゴルフ用の赤いベストを送られ、その場で全員写真を撮りましたが、その後は一度も着ることなくお蔵入りとなっています。誠に申し訳なく思っていますが、恥ずかしくて着る気にはなれないのが本当の気持です。しかし、これも本人の自意識過剰ですね。周りの人たちは赤やピンクの服を着ている高齢者を見てもおかしいと感じることはなく、むしろ好ましいと思っているのではないでしょうか。昨年6月ジャカルタで派手なバティックを現地在住の日本人に勧められ購入してきました。これまでは未だ袖を通したことはありませんが、今年はクールビズの期間中に挑戦をしたいと考えています。

70歳を古希として祝うのは、唐の詩人杜甫の作「曲江の詩」の「人生七十古来稀」にちなんだものでしょう。70歳まで生きる人は稀だった時代にその長寿を祝賀したものでした。時代とともに長寿者が増え、「喜」の字を草書体で七十七と読めるところから、77歳を喜寿として、傘の略字が八十と読めるところから80歳の長寿を傘寿として祝い、米寿は先述した通りです。卒寿は、卒の草書体が九十と読めるところからきた90歳の時、白寿は「白」に一を加えると「百」の字になるところからきた99歳の祝いをするようになりました。長寿の祝が増え続けるのは好ましいことで100歳からは毎年祝をしてもよいほど素晴らしいことですね。

翻って欧米では長寿をどのように祝っているのでしょうか。50歳、60歳、70歳などの誕生日は盛大に祝うようです。特に60歳の誕生日は「60周年祭」として長寿を祝い、この年のプレゼントはダイヤモンドを送るのが一般的とのことです。素晴らしいことで、アメリカに生まれればよかったと思っている人も少なくないでしょう。赤い「ちゃんちゃんこ」よりダイヤモンドがよいですよね。

最後に詠み人知らずの歌を一句。

長寿社会を 生きぬくためにゃー
おしゃれに色気に気を遣い、若い人との付き合いを、楽しむ賢い年寄りに。
お前は偉いわしゃダメだ、褒める言葉を使いつつ、これで可愛い年寄りに。
あの世で金は使えない 子供や孫に使わせて、それを喜ぶ年寄りに。

表と裏が 仲良くは できないことを 知っている 
それならいっそいつまでも金の亡者であり続け、
意地悪しながら生きるのも、
おもしろ老後の生き方か