- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

巣立ちに思う

今、学長室の前のエドヒガン桜が満開となっています。この桜は学内のどの木よりも早く咲きます。3月の20日ごろが見盛りです。それを見ながら卒業式(学位記授与式)の式辞を草稿します。桜の花とその蜜に集まってくるメジロの鳴き声に追い立てられるのが年中行事となりました。
本年の卒業生は5学部より1367名で、その中に中国、韓国、ベトナムよりの留学生6名が含まれています。学業優秀者51名を学長表彰しました。今回の学長通信は卒業式での私の式辞の要旨を掲載します。

教育とは何かと問われると、自由社会で機能する市民となり、仕事や人生において創造的で、創作的である独立した存在になることを手助けすることと言うことができるのではないでしょうか。そして、個々の独立した人が現実の社会の中では他の人々と協力することにより大きな力を生み出します。みんなで力を結集すれば、いかなることも可能であることを心にとどめ、決して急ぐ必要はありませんが一か所にとどまらずに着実に前に進んでください。若者とは、これから何をするかという夢を持ち、それをやってやろうという元気のある者です。

東日本大震災から2年が過ぎました。この間、私も現地を訪れ津波による実に悲惨な状況や放射能汚染の現状を見、自然の破壊力の凄まじさに驚かされました。人間の作った文明が自然の前ではいかにもろいものであるかを痛感するとともに、自然との共生にわれわれの未来を見出さなければとの思いを強くしました。復興は徐々に進みつつありますが、被災された皆さんの悲しみや恐怖を考えるとき哀悼の気持ちでいっぱいです。

逆境、それは世界の人の誰にでも起こるものです。そして、逆境の中、気持ちが弱くなると、それを人のせいにしたり、不平不満をぶつけたりするものです。そんなことでは逆境から逃れることはできませんし、むしろ更なる苦境におちっていきます。人生にとって逆境が避けられないものであり、それを簡単に取り除けないものであれば、それと付き合っていけばよい。自分の道がつらいと嘆く前に、他の人も同じようなつらさを味わっていることを忘れなければ、それをプラスに変えられる思考が生まれてくるはずです。これは神様が私に与えた試練であり、私に大きな役割を与えてくれているのだと考えることもできるでしょう。

三重大学の教育目標を覚えていますか。すべての人が知っていると思っていますが、そんなことはないですよね! 忘れている人ももう一度思い出しましょう。「感じる力」「考える力」「コミュニケーション力」を通して「生きる力」を涵養することです。「生きる力」の涵養とは「自立した大人を育てるための教育」と言い換えることができるでしょう。「大人になるということは?」「働くということは?」「結婚をするということは?」、「親になり、子供を育てるということは?」「歳をとるということは?」、そして「死ぬということは?」を考え抜くことができる人財を育てることだと思います。「自分という人間は何者であって、どこから来て、どこへ行こうとしているのか?」の問いにどう答えるかを節目節目で考えなければなりません。
衣食住の多くの部分が海外からの輸入で支えられ、エネルギー源の大半が他国の資源に依存し、一方、車や電気製品を海外に輸出して得た資金をもとにわれわれの生活基盤整備がなされています。本当は世界の中の日本を意識しなければならないのですが、多くの若者が孤立した環境での心地よさを感じ、それがこのまま進行すると、エリア外との互換性を失い取り残されるだけでなく、適応性と生存能力の高い外国人に最終的にとってかわられる危険に陥るでしょう。日本をガラパゴス島にしてはなりません。
わが国の中に世界の誰もが了解するスタンダードを作り、それを十分に認識すること、グローバリゼイションを実現しなければならないでしょう。三重大学ではアジア諸国を中心に世界から多くの留学生を受け入れていますので国際色豊かなキャンパスとなり、グローバルな基準ができています。留学生たちがそれぞれの領域の勉学に励み、日本文化を学び多くの成果を上げてくれているのがそのことを如実に示しています。このような環境で過ごした皆さんは十分にグローバルな人財となっているはずです。このことを社会で生かす努力を続けてください。

三重県はもとより日本で、世界で三重大学出身者が活躍している姿が報道されることを夢見ています。
三重大出身者がんばれ!