- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

2通の手紙

ある時、15歳のK君から「自分の意志」と題する手紙を受け取りました。
「初めに答えを言っておきます。僕は化学療法の治療を受けるつもりはありません。こんなことをいえばみんな反対するでしょう。でも僕の人生は僕が決める。誰にも文句は言わせない。たとえその先に死が待っていようとも。それが僕の生き方だから。それが僕の選んだみち(人生)だから。あたかも自然の成り行きのように僕の残りの人生を優しく見守ってください。」

K君は12歳の時、膝部の骨肉腫のため三重大学病院で治療を受けることになりました。診断後ただちに手術前の抗癌化学療法、そして膝の腫瘍に対して足を温存する手術、手術のあと再び化学療法と約1年間にわたる治療期間でした。体力的にも精神的にも苦しい苦しい時期です。特に化学療法は繰り返す嘔吐や全身倦怠感、白血球減少による発熱などの強い副作用に悩まされます。子供たちの中には化学療法を2度と受けたくないと訴えることもあります。しかし、化学療法が骨肉腫の治療成績を飛躍的に向上させたことは紛れもない事実です。K君はこの治療に耐え完治したかに思えましたが、残念ながら約2年後、肺に転移が見つかり、肺の腫瘍の切除手術を受けることになりました。さらに1年後には右の手首の骨にも転移が見つかり手術となりました。次々と起こる骨肉腫の転移に対して再度の化学療法を進めました。われわれと両親をまじえての説得にもなかなか首を縦に振ってくれませんでした。そして冒頭の手紙が私のところに届きました。
あれから15年、この間手首の骨の感染に対する処置を繰り返しましたが、化学療法をすることなく病気は治癒しました。現在は30歳、不自由な足と手をもろともせずに、仕事に充実した毎日を、また今頃の季節は大好きなスキーを楽しんでいます。今では半年に一度ですが、元気な顔を見せてくれます。私を幸福な気持ちにさせてくれる一時です。いまだ一生を共にするパートナーがいないのは残念ですが。
なぜこのような経過になったのかは正確には評価できませんが、免疫力が大きく作用したことは間違いないでしょう。繰り返す感染と彼の強い意志が免疫の強化につながったのではと考えます。

「先生、ごめんなさい。これまで自分の都合ばかり言って、本当に治療のじゃまばかりしてきました。そして、最後にもわがまま通さしていただきます。私の思いをかなえてくれる病院をさがしてみます。これまで治療をしてくださったことには感謝します。でも私はダンスが命ですもの。ダンスができない私なんて想像できません。」この手紙を残して私の前から去った30歳の女性Tさんがいました。

Tさんは下腿の筋肉内にできた腫瘍で紹介されてきました。調べると悪性でしたので、腫瘍を周囲の組織を含めて広範囲に切除する手術や化学療法を薦めましたがどれも同意してくれません。完璧にダンスを踊りたい一心でした。本人の希望で腫瘍だけを切除する手術を行いましたが、再発、しばらくして肺にも転移病巣が見つかりました。それからは一切の治療を受け付けてくれませんでした。「このままでは死を待つのみですよ」と話をしても「残された時間をダンスに打ち込みたい」との返事でした。そしてそれからは来院してくれなくなりました。最初の内は気になっていたのですが、時間とともにもう亡くなられたと思い、その内に思い出すこともなくなりました。
それが先日偶然にもあるパーティーで15年ぶりに再会したのです。元気いっぱいにステージでダンスを踊っているではありませんか。他人の空似か、はたまた亡霊か? しばし奇妙な時空に迷入していました。後で話を聞くと、私のところを去った後、あるところで温熱放射線療法を受けたとのこと、それが実に効果的で局所の腫瘍も肺の転移も完全に消失し、今は普通に日常生活をおくっているとのことでした。いや、普通以上に元気で活動していました。実にうれしい出来事ではありましたが、私自身の気持ちはいささか複雑でした。Tさんも新しい治療と彼女の強固な意志が免疫力を著しく高めたものと考えます。

この二人の患者さんでの私の判断は間違っていたことになります。医師としては恥ずべきことではありますが、この二人の顔を思い浮かべるたびに人の有する強さにうたれ、人間の素晴らしを実感し、緩くなった涙腺から嬉しい水がこぼれてきます。

現在の科学的検証法で免疫療法の有効性を証明することは困難を極めますが、極めて有効であると思える患者さんがいることは事実です。現代の医療で確実な治療法は極めて少ないのが現状です。ほとんどの方法はあくまで統計学的にこうすれば確率が高いというだけのものでしょうか。不確実なものの中にも個別には成功するものがあることを示しています。

残す日々が少なくなった今年ですが、反省しきりの一年でした。反省の中に進歩があります。その歩みを確実にするのは強い意志です。自らの強さを信じて新しい年を迎えましょう。