- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

鎮魂の8月―空海と紀伊半島文化の道

  8月は鎮魂の月である。第2次世界大戦で日本人犠牲者は一般市民を含めて300万人以上である。ドイツは550万人(行方不明者を含む)、戦勝国であるソ連で2000万人、中国で1000万人と推定される。全世界で5000万人以上の人が戦禍に倒れ、当時の世界人口は約20億人と推計されるので約2.5%の人間を失ったことになる。人類はこの記憶を忘れてはならない。

   昨年の8月に空海に2度出会った。一度目は東京国立博物館で開催中の「空海と密教美術展」、もう一度は山折哲雄氏の著作「空海の企て-密教儀礼と国のかたち」の中である。空海が実に豊かな教養、想像を絶する行動力、優れた国際感覚での交渉力の持ち主であることに異を唱える人はいないであろう。

   高野山奥の院への参道には何かしら神秘的な物を感じる。昼間でも鬱蒼とした林に囲まれ薄暗い参道を3年前の8月に数人の後輩たちと真夜中に歩いた。墓に霊魂など存在するはずがないと信じていてもそうとうに不気味さを感じた。霊魂いや生魂があるとすれば即身成仏した空海のものだけであり、それは奥の院の御廟内である。空海仏は救いの手でなければならないのに、それでも恐ろしいと感じるのはなぜか。死が誰にでも一度だけ訪れる確実な疾患であることを十分に理解しているはずの医師の私が何に恐れるのであろうか。

   四国霊場88札所遍路の路も空海との「同行二人」である。四国の山中に生まれた私はしばしば近くの66番札所である雲辺寺に遊びに出かけた。標高900m以上の所にある寺で、山頂から瀬戸内海が望めるため、山育ちで海を見たことがない私は友達と一緒にしばしば登った。空海と二人とはこれっぽっちも思わなかったし、もちろん同行二人の言葉も思想も知らなかったが、実に楽しい山行であった。
楽しいとか優しい気持ちと恐ろしいと感じることは感情の天秤棒である。対象に対する優しさの中に反対感情を存在させ、恐ろしさの中にも優しさや楽しい感情をみいだす調整メカニズムを働かすことができれば天秤棒は機能する。教養を感じる瞬間である。

   高野山と伊勢は繋がっている。伊勢の丹生の水銀に高野山との接点を見ることができる。空海の即身成仏や神宮信仰には水銀が必要であったのではと想像する。高野聖と神宮の御師は多くの共通点を有している。ここでの文化の交流が紀伊半島の屋台骨の一つである。
   昨年に尾鷲市にある三重県立熊野古道センターで世界遺産登録5周年を記念して国際交流シンポジウムが開催された。テーマは「文化の道」である。そのシンポジウムの中で私の興味を引いたのは吉野山金峯山寺宗務総長の田中利典氏の講演があった。熊野の道は日本の宗教を結ぶ道であるとのこと。伊勢や京都の神道、高野山の空海密教や熊野の浄土信仰、吉野や大峰の山岳宗教(これは一部道教に由来しているか?)が南紀熊野一帯で融合するための文化の道であると彼は唱える。 
   国土の大半を山地が占める我が国では山は古くから聖なる場所とされていた。紀伊半島の背骨となっている吉野・大峯から熊野三山への道は、古くから山岳信仰の霊地とされ、修験者などの山岳修行者が活動していた。若いころ何度か奥駈け道を登山して多くの山伏に会った。月の輪熊に遭遇して怖い思いをしたのもこの道である。彼らの信仰の中心には仏とも神とも違う蔵王権現という日本独自の尊格であるという。蔵王権現の像容は、火焔を背負い、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いて忿怒の相を表わし、片足を高く上げて虚空を踏むものである。恐ろしさの中に優しさを感じる像である。ここにも楽しさと怖さの天秤棒がある。
   若い頃、那智勝浦町立温泉病院で勤務したことは以前にも書いた。那智は補陀落浄土に通じる道であると考えられ、そこにある補陀落寺の住職が死を迎えて南の浄土に船出をしたとの話がある。私がいたころはほとんど崩れかけた寺で、補陀落思想は見向きもされなかったが、最近は注目されてきている。豊かで楽しい社会での怖さが補陀落思想を再孝させているのか。これも感情の天秤棒のなせる業か?
  21世紀は天秤棒の時代だ。開発と環境、物質と精神、自由と統制、成長と停滞、個人の組織などバランスが求められている。これからの時代の地球文化である。