- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

大学の生活習慣病

食生活や喫煙、飲酒、運動不足など生活習慣との関係が大きい病気のことを生活習慣病と呼んでいる。生活習慣病と聞くと糖尿病、高血圧、高脂血症が直ぐに思い浮かぶが、がん、骨粗鬆(そしょう)症、認知症なども日常の営みとの関係は深い。成人病は年をとっていくと自然に起きる病気というイメージであるが、生活習慣病というと乱れた生活が原因であり、個々人の責任、という感じが強くなる。発病しないようにする第一次予防は生活習慣の改善で、禁煙、節酒、バランスのよい食事や適度な運動などがあげられる。続く第二次予防は、検診で早期発見し、発病しても適切な治療で重症化を予防するように務めなければならない。
元気で長生きするためには自己努力が重要であることは言うまでもない。しかし、英国の首相であったウインストン・チャーチル氏のように、暴飲、暴食、ヘビースモーカーでも90歳の長寿をえる人や健康に特に注意しながら生活を営んでいる人が若くして病に倒れるのをみるとき自己の節制に瞬間的ではあるが疑問が頭をもたげてくる。

大学にも生活習慣病としか思えないものが存在している。世界的標準から大きく逸脱し、変えなければならないと多くの人たちが考えているがなかなか実行できないのも生活習慣病的である。
まず入学時の年齢である。ほとんどが高校卒業と同時に入学する。予備校で1-2年過ごす学生もいるが、社会人の経験はない。昨年の三重大学入学者の社会人は約1400名中僅か3名、大学院生は530名中65名である。大学院生は1割強であるがそれでも少ない。実に均一な集団である。大学合格のための受験勉強に集中してきたこの集団に多様性を求めるのには相当な時間を要する。勉強漬けで大学に入り、ホッとしている学生にこれまで以上に勉学に意欲を持ってもらうには教員側に余ほどの努力が求められる。学生の欲しているものと教員が教えようとしている間には大きな乖離も存在している。漫画世代の学生と小説世代の教員との間に共通の認識は乏しい。日本の漫画が世界に発信され、日本を代表する現代文化の一つであることを理解していても、そのことを積極的に講義やゼミに取り入れようと思う教員は少ない。教養は時代とともにあることはそれぞれの個人が感じていることである。私より1-2世代前はカント、西田幾多郎などに代表される哲学書や夏目漱石、森鴎外などの文学に親しむことが教養の原点であった。それが遠藤周作、安部公房、司馬遼太郎、松本清張の小説や羽仁五郎などを読むことにより自らの人生を考え議論した時代を経て、テレビや漫画を通してメディア情報を得て、それらが一瞬の内にインターネットで国内はもとより全世界に発信される社会に的確に対応できることも教養の重要な要素になってきている。現代社会の多様性を考えるとき、多様な学生が一つの学舎で議論することが重要であろう。その原型を幕末に多くの優秀な人材を輩出した大阪の適塾にみることができる。

第2の悪しき習慣は授業料や生活費のほとんどが親の出資に依っていることである。一家庭での子どもの数が少ない現在では両親は喜んでお金を出してくれる。そのことが大学生活の緊張感を欠くことに繋がっている。授業が10分遅れでスタートし、10分以上早く終了しても学生は不満を言わない。休講になれば悲しむより嬉しさの方がまさる。その気持ちが教員側にも伝わるから、相互の緊張感が希薄となる。これが自分で貯めた資金で大学に通う社会人学生となると意識がまったく違う。授業料に見合う講義でないと大いに不満となり、そのことをはっきりと教員に伝える。最初は煙たいと思う教員もいるかもしれないが、そのうち緊張感を醸成され真剣で内容のある講義となり、よい循環を生み出す。これは米国の大学と決定的に違うところである。
育英資金を得て大学生活を送る学生もいるが、それでも7-8%の人は返還時期がきてもそれを実行しない。実に嘆かわしいことである。このような現象をみるときお金の出所の問題ではなく、本人の意識に帰結するのかもしれない。高等教育を受けた人達で構成される社会は本来極めて道徳的で志の高い社会でなければならないはずである。

あまり勉強しなくても卒業できる大学のシステムが第3の問題である。欧米の大学に比べて学生の勉強量は少ない。特に自宅での学習が著しく少ない。それでもほとんどの学生が卒業できている。大学側も改善のために厳しい課題を学生に与えて進級や卒業のハードルを高くしている。しかし大量留年者が発生すると教室が不足したり実習ができなくなったりで適正なカリキュラムの実施が困難となる可能性が出てくるのがわが国の現状である。
中央教育審議会の答申を踏まえて文部科学省も大学側に現状の問題点を指摘するし、大学もその改善に積極的に取り組んではいるが、そこには教員不足や施設の不整備などのおおきな壁が立ちはだかっている。いずれも国家の財源不足のため対応ができていないので実効性に乏しい。

これらの悪しき習慣から抜け出すためには、大学人全員の意識改革が絶対条件であるが、このことが最も難しい命題であることは誰もが感じていることである。大学だけでなく日本、いや世界の現状をみれば納得がいく。
言い訳はいけない。少なくとも大学が意識改革を実行し、生活習慣病から誰よりも先に抜け出さなければならない。ダーウィンの進化論の中にある「強いものや賢いものが生き残るのではなく、変わりうる者だけが生き残る」とのことばを信じて挑戦をしよう。