- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

バランスのすすめ

 FD(Faculty Development)とは大学教員の教育能力を高めるための実践的方法のことで、三重大学でも積極的にその取り組みを推進しています。しかし、残念なことにそれに無関心であったり、中には拒否反応を示す教員もいるようです。先日、ある学部の中堅の教員(准教授)に「FD」って何ですかと聞かれたのにはさすがの私もショックを受けました。
FDの最初は大学教員が研究を進める目的でサバティカルリーブ(米国等で行われている大学教員の長期有給休暇制度)をとることにあったとされています。その当時の大学教員は教育に熱心なあまり研究が疎かになっていたため、研究力強化が目的でFDがスタートしました。現在はその反対でしょうか。大学教員は研究者としての自覚は十分ですが、教員としての意識が薄れてきています。そのため現在のFDは教員の教育力向上のために行われているのがほとんどです。 そこでは標準的教育の大切さが強調されています。確かに平均的な専門的職業人を養成するために必要な教育の方法論を教員や指導者に知ってもらうことは重要です。優しく接しながら若者にやる気を起こさせなければならないことが指導者講習会で繰り返し教えられます。何か洗脳されているような気がしますが、不思議なものでそれなりの充実感もあります。

 私が若いころは先輩の背中をみて育ってきたように思います。臨床現場では叱られるばかりで褒められることはまずありませんでした。過酷なまでの多くの課題をこなしながら成長してきました。どちらの方法も大切でしょう。専門的職業人の養成に加えて、研究や組織の指導的役割を果たす真のエリートを育てるための教育が存在しなければならないでしょう。対立軸の存在とバランスを重視しなければなりません。

 わが国の近代医学の発展について考えてみます。
明治になって国家戦略としてドイツ医学が導入されます。その時、佐賀藩出身の医学者である相良知安が大きな役割を果たします。知安は明治2年に政府の"医学取り調べご用掛"に任命され、日本の医学を指導してくれる国を選択することになります。当時の状況は、会津の戊申戦争で献身的な働きをしたイギリス人医師ウイリアム・ウイルスに日本の将来を任せることにほとんど決まっていました。当然イギリス医学の導入となるはずでした。しかし、知安は反撃に出ます。ドイツ医学の優秀さを訴え、結果的には、指導国をドイツに切り替えさせることに成功します。その後、初代医務局長として医療制度の基盤を作ります。しかし、政変で失脚し、不遇な最後を迎えます。この経緯は篠田達明著の小説「白い激流」に詳しく記されています。

 当時のヨーロッパの医学はオランダとイギリスがリードします。病院での実践医学が飛躍的に進歩します。乗り遅れたドイツは新しい展開に活路を見いだします。病院での実践医学とは別の医学体系として"研究室実験医学"を構築します。当時のドイツ医学指導者 の一人のルドルフ・ウィルヒョウは「細胞は細胞から生まれる」という考え方をもとに「細胞病理学」の基盤を構築し、がんや炎症の基礎的概念を確立します。ロベルト・コッホの努力が細菌学を発展させたのもこの時期で、感染症研究が医学の中心的な学問分野となります。当時、日の出の勢いにあったドイツ医学の評判に魅せられたのが日本だったのです。その後、北里柴三郎、志賀潔、江口襄など多くの俊英がドイツに留学し、細菌学研究などに貢献したことはご存じのとおりです。江口襄先生は伊勢にある山田日赤病院(現在は伊勢日赤病院と名称変更)の初代院長です。1908年(明治41年)に北里柴三郎先生の招きでコッホ先生は来日し、その時に伊勢の神宮を参詣し、日赤病院も訪れています。

 アメリカは臨床医学に注目し、多くの留学生をヨーロッパに送り込み、病院実践医学の種をまきます。また、ドイツ医学にも関心を示し留学生を派遣し、"実験医学"をも育てます。それからのアメリカ医学は、病院実践医学と実験医学、すなわち臨床と基礎医学とがバランスよく混ざり合った医学を創生していきます。アメリカ経済の驚異的な発展も相俟って、その後の医学・医療はアメリカを中心として展開していくことになります。

 歴史に「もし」はありませんが、相良知安の活躍がなく、そのままイギリス医学が取り入れられていたら現在の医学医療とは大きく異なっていたでしょう。今われわれが直面している医療問題の多くがこれまでの臨床医学軽視に起因していることを考えるとき複雑な思いです。臨床医学に軸足をおいた病院実践医学的な教育環境の整備の遅れが良医を養成することをおろそかにし、研究業績重視の名ばかりの名医(迷医?)を尊重する風土となったことは不幸な歴史でしょう。このことは医学教育だけでなく大学教育全体にも当てはまり、明治以降のわが国の思考における対立軸の欠如に行きつきます。

 21世紀はバランスの時代です。技術や資源と環境との「バランス」、社会と個人の「バランス」、政府の統制と市場の自由の「バランス」、物質生活と精神生活の「バランス」。このバランス社会への変革に三重大学が積極的に取り組み、先駆的な情報発信をしましょう。