- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

じいさんの立場から高齢社会を考える  

 2007年に夕張市が財政再建団体となり、事実上破綻しました。その大きな原因は、構造的な問題である石炭産業の衰退による人口減少とそれに加えての高齢化でしょうか。結果として夕張市は「全国最低の行政サービス」と「全国最高の市民負担」となりました。環境、福祉、教育などの水準は最低レベルになり、一方、住民税や固定資産税など税率が引き上げられ、公共施設利用料、各種手数料などは高く設定され住民負担は増えます。将来に向けたインフラ整備や学校施設など生活に必要な整備も計画的には実施できない極めて困難な状況に追い込まれました。このようなことはわれわれの周りを含めて日本中どこの市町にも当てはまりますので、他人事ではありません。

 世界の観光地ギリシャも財政危機に陥っています。観光しかない国での観光の衰退と高齢化(世界4位の高齢社会)、それに加えて、経済規模に比べて異常に多いと思われる公務員の数と過剰優遇でしょうか。多すぎる公務員の増え続ける給与や豊かな年金保障にはうらやましくもありますが、それで国が滅びるとなると到底受け入れられません。国の緊縮財政政策に対する国民の反発が報じられていますが、ここは自己中心の欲望を抑えなければEU諸国の支援は得られないでしょう。

 現在のギリシャを予想させる出来事を10年近く前に経験しました。イタリアの学会に招待された帰りの飛行機でのことです。ミラノからジュネーブへのフライトでした。隣の席に中年の太った男性が座り、話しかけてきました。「お前は幾つだ?」と聞くので「55歳だ」と答えました。「まだ仕事をしているのか?」との問いに当然のごとく「ばりばりの現役だ」と。「あなたは?」との私の問いに「自分は53歳で既にリタイアーして年金生活をしている。今回はジュネーブに住んでいる妹の所に行き、数ヶ月一緒に暮らすんだ。」とのことでした。本当の妹かどうかを疑うほどの脂ぎった男性で、私に「お前は働き過ぎだ。早くリタイアーをして私のような生活をすべきだ。」と説教されたことを思い出します。その時、彼の口からギリシャでは50歳の前半から年金が支給されると聞いたように記憶しています。我々は、働くこと学ぶことの大切さを忘れてはならないでしょう。

 この話の飛行機に乗る前の学会で訪れたのはイタリア北部のボローニャに程近いファエンサという田舎町でした。そこで実にイキイキしたじいさん達にめぐり会いました。
まずは学会会長のじいさん(失礼)。100名程度の小さな会でしたが、予定された時間割を全く無視し、自分の気に入った発表では時間を超過してもニコニコして聞き入っていましたが、気に入らない講演では早々に終わるように司会者に目配せをするのです。それでも終わらなければ、演者本人の前に仁王立ちとなって赤鬼の形相で終了を迫るのです。イタリア訛りの英語でまくし立てるので、はなはだ聞き取りにくいのですが、何が言いたいかがよくわかるから不思議です。幸いにも私の講演には満足?をしてくれたようでした。ニコニコしながら聞いてくれていましたから。それは講演内容よりは遠路はるばる日本から無理をして来てくれたことへの感謝からだったのでしょうか。わがままじいさんですが、その強烈な個性は実に魅力的でした。

 長いイタリア式夕食を終えてホテルへの帰途、デュオーモ(教会前の広場)での出来事。ブティックの刺激的な女性の下着をウインドーショッピングで見入るじいさんを見かけました。何を想い見つめているのか。若かりし日々への憧憬か、はたまた、孫娘へのプレゼントでもと思いをめぐらせているのか。そのじいさんとブティックを交互に見ている私と目が合った時、じいさんはテレ笑いでなく、さわやかに微笑んでくれました。男同士何か通じるものを感じました。色気のあるうれしいじいさんでした。

 屋外のカフェでは巨大なアイスクリームをパクついているじいさんがいました。若い女性でも食べるのを憚るほどの大きさのアイスクリームを広場で練習を繰り返している鼓笛隊の笛やラッパに合わせるかのようにリズミカルにパクついているのです。生活習慣病なんてくそくらえとばかりに、元気いっぱいの愉快なじいさんである。

 孫の乳母車を黙々と押すじいさんは、すやすやと眠っている赤ん坊を見つめながら、乳母車の押し方はかくあるべしと誇らしげな顔をしていました。若夫婦は週末のディナーパーティーに出かけ、おばあさんは友達同士でおしゃべりパーティーにでも出かけたのか、孫と二人のふれあいの時を楽しむ、やさしいじいさんです。

 犬の散歩をまかされているじいさんもいました。しかし、散歩とはとてもいえないほど全速力で犬を走らせ、自分は汗だくになりながら自転車で伴走しているのです。デュオーモに通じる放射状の道を出ては帰り、何度も何度も繰り返し、自分と犬の体力勝負に夢中になっている元気一杯なじいさんには運動の大切さを教えられました。しかし、やりすぎは禁物です。

 ホテルへの近道である小さな路地で、おそろしく腹のせり出した神父さんと私の傍を猛スピードで車がすり抜けて行きました。神父さんは私の顔と通り過ぎた車を交互に見ながら「危なかったな。神がわれわれを救い賜うた。」と大げさな身振りで肩をすくめ十字をきり祈った後、私に微笑みかけてくれました。一切れのパンに感謝を捧げる毎日にしてはあまりにも太りすぎではあるが頼りになるじいさんにみえました。夜のデュオーモはまさに面白じいさんのショウ会場でした。

 私の宿泊しているホテルはこの町で最高と銘打っているが、何せ田舎町です。出立の日、朝食のためホテルのレストランに出かけると早朝ゆえ客は学会に参加していた老研究者一人のみで、辺りには店員も見あたりません。フランスパンを4個、生ハムにチーズを皿に山盛り取っているので、「朝からよく食べるなー」と思いながらチラチラと盗み見をしていると、フランスパンの間にハムとチーズ入りのサンドイッチを作り、それを袋に詰めているのです。何と昼飯を調達している。目が合って、ニーとして顔はおまえも作れと促しているようでもありました。そのじいさんと駅で再会、私は別料金を払ってミラノへ特急列車に、じいさんは先着して特急を待つ各駅停車に乗り込みました。そんなに急いで帰らなくても、ゆっくり列車の中で朝作ったサンドイッチを食べながら行こうよと言っているかのようでした。逞しいじいさんである。

 元気で活力ある素敵なじいさんはたくさんいます。その素敵さの根源は新しいものに対する興味と挑戦でしょうか。現状に止まらずに絶えず前進することが魅力となっているのでしょう。しかし、じいさん達も迷っています。これまで培った知識や技術を活かしたいと願っていますし、気力体力ともに十分ですが、若者の雇用を奪うのではないかとのジレンマの中で葛藤を繰り返しています。

 男女共同参画が強く求められ、女性の雇用を促進しなければなりませんが、高齢者の中ではじいさんに救いの手が必要でしょうか。逞しいおばあさんよろしくお願いします。

 (中日新聞に連載した「みえ随想」より一部を転載)