- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

「ち」について

 何回か前に知、血、地について書きました。その他に「ち」と発音する字は非常にたくさんあることに驚かされます。主なものを上げますと 智 痴 値 乳 治 置 遅 稚 致 馳 茅 恥 弛 池などです。知に日がついて「智」となり知よりも高次の宗教的叡智の意味に用いるようです。知に病垂(やまいだれ)がついて病気となれば「痴」となります。この意味は根本の真理を知らないことで、仏教では基本的煩悩の一つとのことです。

 「痴」にならないために「智」恵を付けなければなりません。智恵とは何か。たくさん勉強しているということではなく、問題が起きたときに、どう対処できるかということなのです。これが人間としての教養だと思います。教養とは智恵があるということです。優れたリーダーとは、たとえ周囲の状況が最悪のときでも、智恵を働かせて新しい方法を考え、困難を克服していくのです。智恵のある人が勝利を収めることになります。このように考えますと、真の教養のある人が有利となるはずですので、学生時代はもとより社会に出てからも常に教養を身につける努力を惜しんではならないでしょう。その根底にあるのは「学びの習慣」だと思っています。
 三重県、愛知県、岐阜県の県境にある木曽三川はたびたび大洪水を引き起こしています。伊勢湾台風による大きな被害も50年経過し、人々の記憶も薄れかけてきています。当時、被害にあった子ども達の文集に寄せられた水への恐怖は今回の東日本大震災の大津波にも似たものだったのでしょう。世の中にはいろいろな恐怖がありますが、意識があって呼吸ができない恐ろしさは想像を絶するでしょう。水による被害はまさにそのものです。
 暑い夏がやってきました。節電の夏でもあります。海水浴や川遊びでの犠牲者が毎日のように報じられます。学生や若い人がこんな場所で何故と思われる事故が大半です。グループでアルコールを楽しんだ後に水に入ることは絶対にしてはなりません。溺れそうになると人はパニックになります。ばたつかないで思い切って水の中に顔を付け、身体を沈めましょう。そうすると自然に浮き上がってきます。冷静さも取り戻すでしょう。
 木曽三川では、約250年前の宝暦年間の幕府の命による薩摩藩の治水工事もよく知られています。家老平田靭負以下一千余名の義士を派遣し、40万両を越える巨費と、藩士80数名を失うという犠牲をはらって、完成させます。杉本苑子氏の小説「孤愁の岸」で当時の難工事と人々の苦闘を知ることができます。桑名の海蔵寺や海津の「治」水神社をはじめとして木曽三川沿いの寺院にその跡が残されていますし、毎年この地に鹿児島より多くの人が集まって鎮魂祭を催しています。当時の技術力では三川分流工事の効果を十分に発揮することができなかったようです。
 明治になってオランダより土木技術者を招いて近代技術を駆使した本格的な三川分流工事に取りかかりました。着工から25年の歳月をかけた大事業により、洪水被害は著しく減少し、不毛の土地であった西濃一帯も今日のような発展をみることができました。この近代的な「治」水工事が成功したため、その後の全国の河川改修工事の手本となったとのことです。ここで使われている「治」は「水」と「台」です。「台」は、ムと口にわかれ、ムは農作業具の鋤(スキ)を表し、口は神器を意味し、併せて作為を加えることになります。河川に作為を加え、洪水を防ぎ、水利を行えるようにすること、即ち、河川をおさめたことが原義と考えられています。まさに「治」は治水そのものを示しています。このことから発展して、乱れたものに手を加え、秩序をもたらすことになり統治、政治などのことばが生まれたわけでしょう。
災害から生命や財産を守るために、歴史の中から学び取った二重三重の「智」が散りばめられています。それは「水との戦い」ではなく、「水との共存」である。「治」と「智」の融合であることを認識する必要があるでしょう。
 「也」が右偏につく「ち」は地、池、弛、馳がある。「也」の意味ははっきりしませんが長く伸びた姿を意味しているのではとも考えられているようです。土が長く続けば土地となり、水(さんずい)であれば細長い池となり、馬であれば長く走ることになり、弓となると長い弦がゆるむとなります。

 池と言えば香川県財田にある満濃池を思い浮かべます。徳島県の山中に生まれた私は県こそ違え満濃池はそれほど遠くありませんでしたので、学校の遠足で何度か出かけました。灌漑用の溜池として日本一を誇る池です。大きな河川がなく、雨の少ない讃岐の国(香川県)では稲作に灌漑池は不可欠です。何度となく決壊しますが、ここでも空海が唐で学んだ新しい土木工学を生かして、大池を完成させました。当時の最先端の知識が成功を収めます。
 池の起源は水田稲作でしょうか。田植え前後の水田はまさに池です。庭園に作られる池は何を意味しているのでしょう。作られた時代や場所により異なるでしょうが生命誕生の根源が水にあることによると考えたいものです。
 学びの庭には知の泉が拡がっています。これからオープンキャンパスの時期です。多くの高校生に三重大学の魅力を知って欲しいと願っています。