- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

ぺっと、PET、ペット

 5月の大型連休の1日、家内と久しぶりに近くのショッピングモールに出かけた。目的は健康に良いとされている玄米パンか大豆パンの購入と携帯電話の交換である。探しているうちにペットショップの前の人だかりが気になった。チワワが壁に立ち上がって一生懸命運動をしていた。実にほほえましく、見ていて飽きない。飼い主になる人を喜ばすための芸なのかもしれないが、わたしが見ている間は動き続けていた。捜し物は見つからず、もう一度ペットショップに戻ってみると疲れ切ったのか座蒲団の上で愛くるしく寝そべっていた。抱きしめたいほどかわいい。子どもが我々の元を巣立ってからは家内と二人きりの生活が15年ほど続いている。それほど不満があるわけではないが、孫がいないのは寂しい。こればかりは自分ではどうしようもないのでチワワなどのかわいい小さなペットを飼ってみたい気もするが、正直言って家でじっとしていることがきらいな私は飼い主としての責任を果たす自信がない。

 現在48%の世帯が、何かしらのペットを飼っているという。飼育ペットの割合は犬62%、猫29%とこの両者で90%以上を占めている。飼い主はペットにより癒されたり、孤独でなくなり、人生の質の向上に繋がる。但し、ペットを飼うには、それに伴う様々な責任や困難をよく理解することが前提であろう。そのような心構え無しに飼ってしまうと、近隣や周囲の人々に迷惑をかけたり、ペットそのものを苦境に陥れたりすることになる。「マナーを守って上手にペットとの生活を楽しみましょう」、「命に対して責任を持ちましょう」といったことが飼い主の責任であると教えられている。飼いはじめた頃は小さかったペットが成長し巨大になったり、凶暴になったりしたため放棄され、それが町中でみつかり住民を恐怖に陥れたとの報道を見ると自己責任の重さを痛感する。

 われわれ医療に携わる人にとってのPETは、がんなどの早期発見や脳機能の評価に有用な検査機器のことである。これはPositron Emission Tomography (ポジトロン断層法) の略で最近はがん検診などでもよく使われるようになってきている。近年の医療機器の進歩は著しく、特に画像診断機器ではCT(Computed Tomography)、MRI(Magnetic Resonance Imaging)、PETと有用性の高いものが多い。CTやMRIは解剖学的な情報に勝れているので形態画像と呼ばれ、PETは生理学的な情報に勝れているので機能画像 (functional image) と呼ばれる。この両者の利点を融合したPET/CTも開発され、診断での有用性は一層高まっている。しかし、誤解のないようにしておいて欲しいのは100%の確率での診断はあり得ないことである。私も友人である三重大学附属病院長の強い勧めで年に1回はPET/CT検査を受けているが、健康管理で最も大切なことは自己抑制にある。美味しいものも食べたい、お酒も飲みたい、面倒だから運動はしたくないでは健全な高齢者とはなれない。自らの基礎代謝量が落ちていることを自覚し、カロリー摂取量を抑えるか、取り過ぎていると思えばエネルギーを消費することを自覚しなければならない。そういう私も友人から自己管理の不十分さを攻められている。

 最近はペットボトルのペットも良く知られている。お世話になった人がいないぐらい実によく使われている。ペットボトルで一つの言葉となっているためか「ペット」の意味を考える人は意外と少ない。ボトルが瓶とか容器であることは誰でも知っているが「ペット」の由来は?となると答えられる人は少ない。実は私も先日までは恥ずかしながら知らずに何気なく使っていたのだ。東京出張の帰りの新幹線で、喉の渇きを潤すために駅で購入したペットボトルの水を飲みながら「ペット」の意味が気になり出した。帰宅して大急ぎでそのことを調べた。そうしないとすぐに忘れてしまうようになってきているからだ。「ペット」とは「ペット樹脂」のことでポリエチレンテレフタレート(Polyethylene Terephthalate)の略語であることが判った。
 ペットボトルは今から40年以上前に開発され、炭酸飲料水用に使用されたとのこと。わが国では1977年に醤油の500ml容器として最初に使用され、現在の隆盛に至っている。その背景には透明で中身が見え、軽量であるが破損しにくく、保香性にも優れている。その上、素材が炭素、酸素、水素であるため、燃焼しても二酸化炭素と水のみで、有害物資はなく環境への影響は比較的少ない。しかし、地球温暖化防止のための低炭酸ガス時代に対応するため現在ではペットボトルの79%は回収されリサイクルされている。
 江戸時代、江戸や大坂の下町では海水混じりの井戸水であったため「水売り」の商売が成立していたとのこと。われわれの時代は水やお茶を買って飲む習慣がなかったため、ペットボトルの水やお茶には最初は抵抗を感じていたが、当たり前のように馴らされてきている。それを利用しはじめると意外と便利であることに気づいてきた。フタを開けてラッパ飲みして、フタを閉じておけば持ち運び容易でいつでもどこでも飲み直すことができる。

 日本で住んでいると水のありがたみを感じることは少ない。きれいな水はどこにでもあり、大都会を除けば水道水でも美味しく飲める。しかし、中国、東南アジア、アフリカ、欧米などの世界各国ではそうは行かない。水は貴重品だ。水戦争は水面下で進行し、日本の水は狙われている。