- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

がんを克服した逞しい人々

 彼が左膝部の骨肉腫と診断されたのは35歳の時でした。前の病院で膝半月板障害の診断で手術を受けましたが、症状が改善しないため紹介されてきました。最初の手術から1年以上経過していました。一般的には診断の遅れは良くない結果となります。彼には直ぐに入院してもらい、抗がん化学療法を始めました。約3ヶ月の化学療法後、腫瘍を広範に取り除く手術が行われました。手術後、6ヶ月にわたる術後の化学療法と厳しい治療の連続でした。しかし、彼は病室に仕事を持ち込み、実に前向きな姿勢で治療に取り組んでくれました。そんな彼ですので私にはほとんど苦しい表情は見せずに明るい振る舞いでした。抗がん薬の治療は苦しいものです。吐き気や嘔吐、食欲不振、全身倦怠感と人によっては耐え難い苦痛を強いることになります。彼の平然とした態度をみていると、持って生まれた?体力と精神力にはただただ敬意を表するばかりでした。退院後は1-3ヶ月毎に外来通院で再発がないか転移がないかなどをチェックすることになります。治療後の経過は順調で、2年ぐらい過ぎた頃だったと思いますが彼から相談を受けました。がんになって生命保険にも入れなくなったため、自分にもしものことがあっても家族に何も残してやれない。家だけでも残したいが、一人ではそれも無理だ。「先生、二人で家を建てませんか。資金計画は自分で立てるから、先生はお金を出してくれないか。先生に迷惑をかけることはしないから。」との提案でした。数人で家を建てると割安となり、その後も運用の仕方により持ち出しも少なくてすむとのこと、住宅関係の仕事をしている彼にしか考えつかない案でした。そろそろ家を建てなければと考えていた私は家内や家族に相談しましたが、大反対の合唱でした。父親だけは「大きな買い物をするときは決断が大切だ。決断しなければいつまで経っても買うことはできない。おまえの好きなようにしろ」といってくれましたので、不安の中でしたが何とか資金を工面しました。立派な家が完成しましたが、私は半年間住んだだけで、津に転勤となり、家内もその一年後に移り住むことになり空き家となりました。現在でも隣家に住む彼がきちんと管理を続けてくれています。
 最初は患者と医者との関係でしたが、今や彼と私はなくてはならない重要なパートナーであり、ゴルフの好敵手です。不幸にもその後人工関節が感染を来たし、切断術をしなければならなくなりました。少し使い勝手は悪くなるかもしれないが外観はよい切断端にするか醜状を残す形状となるが機能的には優れている切断端のどちらにするか話し合いました。彼は躊躇することなく後者を選択しました。足が途中から前後ろ反対に付くのですから見かけは恐ろしく悪くなりましたが、義足が付けやすく歩きやすいと喜んでくれました。ゴルフの後で一緒に風呂に入ると手術した私でも一瞬ドキッとするほどですので、他の人たちはビックリして口を開けたまま目を丸くします。しかし、彼は平気です。今後を豊かに生きるための見事な選択です。義足となった彼ですが、ゴルフは私に負けたくないと不自由な足で必死に練習に取り組んでいますし、障害者ゴルフ大会の世話係もしてくれています。患者と医師の関係は必ずしも単純には割り切れない側面がありますが、彼は私と巡り会ったことを喜んでくれていると思っていますし、彼の言動から私に遠慮したり、引け目を感じているはずはないと感じています。その上、私が三重大学に赴任した15年前よりは、別の医師が彼の医療面での管理をしてくれていますので、患者と医師の関係はなくなり本当の友人関係を築くことができました。実にたくましく頼りになる人です。

 骨肉腫の治療後、自らの病の経験を生かそうと医療関係の仕事に従事している人も少なくありません。医師、看護師、薬剤師、理学療法士、放射線技師などです。福祉や介護の仕事している人もいます。
 ある薬剤師の女性は生と死の境を経験したことから「自分は生かされていると感じるようになり、そのことにとても感謝し、生きていて幸せです」と私に話してくれました。「薬の世界で研究者になって、生きられる命を増やすことが私の夢です。その前に涙腺がゆるみやすいのを何とかしたいと思っています。」実に素敵な人間なっている彼女を実感しました。
ある時、中学3年生の女の子が私にそっとささやいてくれました。病気になる前の自分は好きでなかったが、今の自分はとっても好きなので大切に生きたいと。苦しい治療を乗り越えてきた自信で、未来を自ら築き上げる積極性に満ちあふれた顔でした。20年後の現在、彼女は3児の母であり理学療法士として家庭と仕事を両立してくれています。毎年の年賀状での写真付きの近況報告は年々増える家族の数と大きくなってたくましくなっていく子ども達です。私の心をほほえましくさせてくれます。
 入院中にお世話してくれていた看護師さんと親しくなり結婚にゴールインした男の子もいます。現在は公務員となり福祉関係の仕事につき、障害者の目線が自分仕事に役立っていることを教えてくれました。子どももできました。病気の中で勝ち得た強さを自分の子供達に伝えてくれると信じています。
 その時を懸命に生きようとする姿にとてつもない強さを感じます。