- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

情緒と理論

 数年前、臨床基礎科学関連の学会を主催するに当たって、そのテーマを「情緒と理論」とした。研究が大きな成果に結びつくためには理論と同じくらい情緒(感性)が必要であると考えたからである。アレキサンダー・フレミングがペニシリンを発見した動機にも情緒が色濃く漂っている。細菌を培養しているときに、「ずぼら人間」に近かったフレミングは放置したままの培養皿に青カビが繁殖し、本来の実験には使えない状態となっていることに気づいた。普通の人間であれば、躊躇なく捨て去るところであるが、彼はそうせずに、丹念にその状態をスケッチしたのである。そしてカビの周りには細菌が繁殖していないことを発見した。そのスケッチ図が大英博物館の医学展示室の入り口にあるので、まんざら作り話でもなさそうである。今ならシャッターを押せば簡単、短時間に写真ができあがるが、細かいことの観察ができるかは定かではない。顕微鏡を観察しながら詳細にスケッチすることにより、彼が予想もしない発想を浮かべ、それが世紀の発見に結びついたと考えたい。ふとした偶然からのひらめきが幸運をつかみとる能力をセレンディピティ(serendipity)という。これはまさに情緒が豊かでないと生まれてこない能力である。

 高等教育においても情緒は極めて重要である。われわれが後輩たちに真に伝えたいものは認知的な知識や論理ではなく、「鋭い観察力」、「強靭な思考力」や「的確な判断力」である。このことが社会人にとって最も大切なことであることを熟練の職業人が痛感しているからである。教育体系が知識偏重であり、すべてが偏差値で評価される現実が目の前にある。その中で論理性は養われてきているが、反面情緒的なものが無視されがちになる。綿密な観察から得られる情報や瞬時に行わなければならない判断は極めて情緒的である。もっとくだけて言うとクライアントや他の人に親切であったり、クライアントが何を望んでいるのかを知ろうとする気持ちを持ったり、先輩に礼を尽くすこと、道義的であること、誠意を持って事に当たること、名誉を重んじることが大切であることを論理で説明することは難しい。これらのことの欠落が社会の安全を危うくしていることを現在見られるさまざまな出来事が教えている。子育て放棄や超高齢者の消息不明は最たるものであろう。医療事故の多くもそれに起因していると考えていいだろう。

 国家や組織とは「力の体系(政治力、軍事力)」と「利益の体系(経済力)」と「価値の体系(文化力)」からなり、この3つの体系のバランスがよくなければ一人前の国家や組織とはいえないと国際政治学者であった高坂正堯氏は述べている。現在のわが国では利益の体系を重視するあまり価値の体系が置き去りにされているのではとの疑問を抱く。そして、国家財政困窮の中、価値体系の基盤となる高等教育への予算の削減は年々大きくなっていく。教育研究環境の悪化を目の辺りにする教員や学生の動向にも変化をもたらしている。ビジネスやエンジニアリングなどの専門性が高く、実務に結びついた領域を専攻する傾向が強くなり、その分実益とは直結するようにはみえないリベラルアーツ教育(教養教育)や基礎研究は敬遠されつつある。

 大学の使命とは、単なる知識の伝達を超えて、人格形成を含むものでなければならないとの考えに大多数は同意するはずだ。しかし、わが国の戦後高等教育はある意味でリベラルアーツ教育よりは職業教育に重点が置かれてきた。医学部、法学部、工学部、教育学部はもとより、経済学部や人文学部でも職業に直結する形で学部教育がなされてきた。学部で専門教育と平行してリベラルアーツ教育を行い、大学院でプロフェッショナル教育(将来のリーダーとして人間性豊かで高度専門知識を有する人財養成)を行う方式はとられてこなかった。戦後復興の時期から高度成長期にはそれで十分に高等教育機関の役割を果たしてきたが、成長を果たして価値観の多様性に大きな比重を置く現代社会において大きな矛盾を来すようになってきていると思われる。大学の果たすべき社会的役割を真剣に議論しなければならなくなってきている。
 教養教育の在り方について全教職員、学生が議論すべき時です。