- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

自らの危機管理を大切に

 オバマ大統領の就任演説で最も印象的な言葉はおおかたの人にとって “Yes, we can”でしょう。自分はできるし、できるように積極的に取り組まなければならないのは重要なメッセージです。誰かに何かをしてもらうのではなく、自らが率先して何かをすることも大切であります。

 ケネディ大統領の就任演説にも名文句があります。“And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country.”(祖国があなたのために何ができるかを問うより、あなたが祖国のために何を行うことができるか問うてほしい。)

 いずれのメッセージも自ら進んで国家に貢献する気概を持ってほしいとのことでしょう。このような情報を発信しても全体主義に陥らないのは、基本的にはキリスト教の神のもとでの自由や個性の概念が成り立っているからでしょう。神という抑止力がなければ単なる利己主義になってしまいます。全く異なった文化的背景を有するわが国で自由や個性を強調すると、自分さえ良ければとの利己主義に陥りやすくなるでしょう。これまで、日本では自由や個性の抑止力となっていたのは長幼の序に代表される儒教的道徳心だったと思います。しかし、われわれは儒教の教えの中で国家にこだわりすぎたために大きな間違いを犯した歴史を有しています。国民が“Yes, we can”のまま、祖国のために何をすべきかを深く考えることなく突っ走ったため先の日中戦争、太平洋戦争に突入し、多くの同胞を失い、国土の荒廃を来しました。沖縄、広島、長崎などにその傷跡を見るとき、悲嘆の中で打ちのめされます。当時の人口の5%近くが戦死した惨事を考えると、戦争の恐ろしさに震えます。

 教職員、学生の皆さんも三重大学のために何ができるかを問うてほしいと願っています。それが独りよがりにならないためには三重大学を大切にしたいとの気持ちを持ち続けてください。

 日常生活においては“No, we can’t”が必要なメッセージであることの方が多いと思っています。思い上がった傲慢な人間でなく、自分の能力を正当に評価できる人でなければなりません。「自分に何ができるかは知っているが、何ができないかをわかるようにならないと大望は達せられないし、心の平和も得られない」でしょう。危機管理はまさにそうだと思っています。何かをすれば危険が回避できればよいのですが、ほとんどはそのようなことはなくて、「してはならないことを知る」ことにより危うさから逃れることができるのです。近寄ってはならないのに近寄ってみたり、言ってはならないのに言ってみたり、ルールを守らなければならないのに慣れきって手順を省略したり、スピードを出してはならないのに猛スピード出したりと挙げるとキリがないでしょう。食事や職場でも遅刻してはならない、公私混同をしない、相手を不快にさせないなど世の常識とかマナーといわれるもののほとんどはしてはならないことを知ることではないでしょうか。

 私にもほろ苦い経験があります。25年以上前に埼玉県所沢で住んでいたいときのことです。関東地方は比較的頻回に地震があります。それも寝ていても目が覚めるほどのものが月に1回はあったように記憶しています。地震の後の夕食の時だったと思いますが、晩酌の酔いもあったのでしょうか妻に何気なく話をしました。「大きな地震が起きたら、私は子供を連れて逃げるから、多恵(妻の名前)は一人で逃げてくれ」と、普通に災害時の心構えを話したつもりでした。しかし、その一言が彼女の心をいたく傷つけたようです。妻には自分を大切に思ってくれていないと解釈され、今でも恨み言を言われます。その場の状況や、その時の心理状態はありますが、振り返ってみて言ってはならない言葉でした。現在の私は毎日のようにどこかで挨拶をしなければならない立場にあります。十分に注意はしているつもりですが、時には気がゆるんで軽口をたたき、後でお叱りを受けることがあります。懇親会の席でのアドリブは叱責ですみますが、「ふさわしいことを話すのだ。それができなければ黙ることだ」「沈黙は言葉についで強い力を持つ」と沈黙の重さやよさを強調する言葉もあります。しかし、演壇で黙って微笑むだけでは職責を果たせません。総理大臣が発した「県外」の一言が大騒動を引き起こし、コミュニティーに亀裂をきたし、多くの人の心を傷つけました。まさにその一言が戦いの序曲となった多くの歴史的事実を想い出させてくれます。

(数日前に総理大臣辞職の報に接し、自らの発した言葉にがんじがらめになり、迷路から抜け出せなくなったことを多くの人が実感したのでは。)

 言葉の大切さを示す表現はたくさんあります。その一部を記しておきます。「言葉の一撃は槍の一撃よりももっと鋭い」、「鋭い刃物より胸を深く切り裂く言葉がある。一生胸に突き刺さったまま忘れない言葉がある」、「賢者の口は心にあり、愚者の心は口にある」「私たちは、言葉づかい一つで多くの友情が左右され、国家の命運すら分けられる事実を肝に銘じておかなければならない」
皆さんも心痛む思い出があるでしょう。その一言で恋人や友人を失ったことを。