- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

超高齢社会を考える

 日本は2007年に超高齢社会に突入した。65歳以上の人が総人口の21%を越えたということだ。1970年に65歳以上の人口が7%を越え高齢化社会となり、1994年に14%を越える高齢社会となった。この間僅か24年である。フランスが115年、スエーデンが85年、イギリスが47年であることからすると、世界のどの国も経験したことのない猛スピードで高齢化が進んでいる。超高齢化社会まではさらに短い13年である。2004年には90歳以上の人口が100万人を越えたと報道され、2009年には100歳以上の百寿者が3万6000人いらっしゃるとのことである。2050年には70万人になると推計されている。見事な高齢化である。

 高齢者の若返りにも目を見はるものがあり、2002年のある調査では65歳以上の人を10年前と比較したとき、握力、通常歩行速度など基本的な運動能力は3-11歳若返っていて、その傾向はさらに進んでいるという。熟年パワーは衰えを知らないと思える中、特に「おばあさん」の活躍はめざましい。どこに行っても堂々とした「おばあさん」の集団が闊歩している。あまりの堂々さに後ずさりすることさえある。
 それに比べて「じいさん」の温和しさはどうしたことか(私も含めて)。まだ生物学的に生殖能力を備え十分に存在意義があるのに、どこで自信を失ってしまったのか。しかし、輝いている「じいさま」もたくさんいるが、活躍しすぎると時には老害と非難される。幾つになっても生きることの難しさを知らされる。

 私の恩師の一人である整形外科医で、大正9年生まれの現在90歳、関節リウマチの権威のH先生。私が整形外科の研修を始めた頃の助教授で、よく叱れたが研修医の意見にも真摯に耳を傾けてくれる尊敬できる先生である。先生とは年に数回学会の会場や懇親会でお会いし、気楽に話をさせて頂いているが、4月にも名古屋の学会でお会いした。会場は新装となったウインク愛知である。2階の会場から9階のランチョンセミナー会場への移動に際して、エレベーターの前に長蛇の列ができていた。ランチョンセミナーは弁当付きの講演であるため、いつも盛況である。私は階段で行きますから、先生はこの列に並んで下さいと申し上げると、「ワシも階段で行くわ」とおっしゃる。90歳のじいさんが7階分も階段を上がるとは「冗談ではない」と思ったので「止めて下さいよ」とお止めしたが、「内田には負けられん」と闘志をむき出しにされ譲らない。それではと二人で階段を昇り始めた。10数人の若い先生達も後に続いた。気を遣いながらゆっくりめの歩調で登っていくが、先生はスタスタと歩を進める。7階当たりから私の息づかいがやや弾むので、先生のはと様子を窺うと同じように少し弾んでいるが、歩調はゆるんでいない。9階の入り口まで到着し、若者はと後ろを振り返るが、誰も後に続いていないではないか。歩きなれてないのか、はたまたそんなところにエネルギーを使いたくないのか、これが現代の若者気質か? いずれにしろ初老と熟老の二人は9階に到着、別々の会場に入場した。講演を聞きながらの弁当を終えると、H先生が隣の会場で心臓発作で倒れているのではないかと急に不安になった。講演者には失礼であったが、中座して慌てて隣の会場に移った。後ろから見わたすと、一番前の席で弁当をパクついているではないか。こっそりと傍の席に座って「大丈夫ですか」と小声で尋ねると、「しっかり歩いたので弁当が美味いわ」との返事である。「ゆっくり食べますね」「歯が悪いでな」とほとんど1時間の講演が終わる頃まで弁当をつついておられた。なかなか歯切れの良く、理路整然とした講演であったが、先生曰く「臨床にしては話が上手くいきすぎてるわな、信用できへんな」 辛口の批評、耳を傾けるべしである。老後はかくあるべし。

 私の専門とする研究会で訪れたイタリア北部のボローニャに程近いファエンサという田舎町で実にイキイキした「じいさん」達にめぐり合った。
 研究会の組織委員長は70歳過ぎの工学部の教授である。演者の前の席に陣取って、自分の気に入った発表には持ち時間を超過しても、ニコニコして聞き入っているが、気に入らない講演では早々に終わるように司会者に目配せをする。それでも終わらなければ、演者本人の前に仁王立ちとなって終了を迫るのである。イタリア訛りの英語でまくし立てるので、はなはだ聞き取りにくいが、何が言いたいかがよくわかるから不思議である。わがままじいさんであるが、その強烈な個性は魅力的である。
 この町最高のホテルと銘打っているが、何せ田舎町である。出立の日、朝食のためホテルのレストランに出かけると、早朝ゆえ客は学会に参加していた60歳代後半の科学者一人のみで、店員も見あたらない。フランスパンを4個、生ハムにチーズを皿に山盛り取っている。よく食うじいさんだなと思いながらチラチラと盗み見をしていると、フランスパンの間にハムとチーズを挟み、サンドイッチを作り、それを袋に詰めているではないか。何と昼飯を調達しているのである。目が合って、ニーとして顔はおまえも作れと促しているようであった。その先生と駅で再会した。私は別料金を払ってミラノへ特急列車に、老先生は先着して特急を待つ各駅停車に乗り込んだ。そんなに急いで帰らなくても、ゆっくり列車の中で朝作ったサンドイッチを食べながら行こうよと言っているかのようであった。逞しいじいさんである。

 素敵な「じいさん」はあなた方の身近にもいる。その根源は新しいものに対する興味と挑戦だろうか。現状に止まらずに絶えず前進することに何とも言えない魅力を感じる。自らが学ばなければならないことはたくさんあり、そのお手本をどこにでも求められる。その気さえあれば。