- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

国家を考えながら大学を思う

 国家の成立や発展を考えるとき三つの「ち」が重要である。それは「地」と「血」と「知」である。

 まず、アメリカという国家の成立を考える時、「地」への強い思いを感じる。ヨーロッパ各地からの移住者は自らの祖国を断腸の思いで出立し、二度と振り返らないことを誓ったはずである。そして、先祖に思いを馳せるのではなく、自らの子孫に希望を托して東から西へ西へと苦難の道を切り開いていった。新天地で新しい国を立ち上げる夢を実現するためである。従って、この土地に暮らす人がアメリカ人であり、彼らが目指す国家は、個人が自己決定と自己責任のもとに集まる国である。努力した者が勝者であることに何の違和感もない。国民皆保険に反対する人が多くいることにもうなずける。アメリカ合衆国もそれぞれが強い自己責任を有する各州が集合して国家を形成している。「血」より「地」を基盤とする共同体である。

 わが国の成立への過程を考えると、そこには強い「血」のつながりを感じる。1万年以上前の氷河期に日本に渡ってきた人や南方より黒潮にのってたどり着いた海の人がまず住み着いたと考えられる。その後、現在の日本列島になってからも中国大陸や朝鮮半島から定期的に人々が渡来し、既に住み着いていた人々と一緒になって暮らした。そこには日本人という意識も国境という概念も極めて乏しく、大陸や半島の文化を受け入れるのに何の抵抗もなかったと思われる。
7世紀初頭に唐が出現して以来、情勢は一変した。領土の拡大を目指す唐は、朝鮮半島を支配し、日本列島にも進出を企ててきた。唐と新羅連合軍に対峙するために団結が必要となり、大和政権が誕生した。このとき初めて国ということを意識し、民族を自覚した。「血」が結びついた日本国家の成立であり、日本民族の誕生である。その反面、海で守られた島国であるため領土意識や「地」に対する意識は強くない。北方領土、尖閣列島、竹島などの対応をみればよく解る。

 近代国家は「知」と強くむすびついている。近年、科学技術と国の関わりが大きく変化した。科学が純粋に知的好奇心を満たすだけの時代ではなくなり、金儲けの材料となってきている。科学研究は「金のなる木」、そうした認識が科学そのものを変貌させている。企業は収益のため、特許を重視し、研究の成果の公表を避ける傾向が強くなり、秘密主義に陥りやすい。さらに、科学技術の水準は国家の強さを示す大きな指標となり、21世紀をリードするにふさわしい国としての必須条件となっている。
わが国も科学技術立国を標榜している。科学技術が日本の産業を活性化し、経済を引っ張る原動力になるとの思いからである。そのため、産官学の連携の強化が求められるが、先般の「事業仕分け」での議論は残念でならない。科学技術不要論を国民に情報発信するかのような議論は百害あって一利なしである。
科学技術の優位性は日本人の自信や活力にも繋がり、明日への元気を生み出してくれることをわれわれは身をもって経験している。1949年の湯川秀樹博士のノーベル賞受賞は、日本人として初めてであり、このニュースは敗戦・占領下で自信を失っていた日本国民に大きな力を与えた。中間子理論の物理学での重要性はよく理解できないが、世界と対等になれるとの自信を国民に与えてくれた影響力は図りしれない。そのことが、世界のどの国家よりも日本でのノーベル賞の価値を一段と高くしている。
科学は本来国家とは無縁なはずであった。純粋な科学的興味から研究を進めることは、国家戦略とは全く関係なく行われていた。しかし、20世紀になって、科学に経済的、産業的価値が見いだされるようになって、国家的プロジェクトが作られたり、科学技術で国を引っ張るといった考え方が生じ、強くなっていったのは先に述べた通りである。しかし、科学は人類全てのものであるとの思いも強い。

 三重大学は伊勢湾に面した風光明媚なキャンパスに全学部が集まっている。「地」の利は大きい。そこで教職員、学生が「知」を求めて切磋琢磨している。しかし、三重大学人としての意識はと問われると残念ながら十分とは答えられない。血としての結びつきはいささか希薄か。母を慕う気持ちは自然に芽生えるものであるが、国家や大学への愛情は教えられなければ生まれないと思われる。「三重大学を愛そう」を繰り返し繰り返し発信しなければならない。そこから新たな三重大学の飛躍が期待される。