- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

明るい未来を

 本年7月、皇后様が、訪問先のカナダの小児病院で難病の子供達のために 「ゆりかごのうたをカナリヤが歌うよ...」の子守唄を歌われたと報道されました。病気と闘う子供達の勇気への賞賛と激励を込めて,優しさに溢れた歌声が耳に響くようです。この心温まる話に大喝采をお送りします。

 平安時代末期に活躍した後白河天皇(後に上皇、法皇となり院政を布く)は私にとって歴代天皇で最も興味を引く人物です。藤原氏や源平を操った老獪さと熊野詣でを30回以上行った信心深さを併せ持ち、その上専横的君主でした。そんな天皇が当時流行した声楽の歌詞の集大成である「梁塵秘抄」を編纂しました。七五調の歌詞を鼓などの単純な打楽器の伴奏とともに謡い、今様(いまよう)と呼ばれていました。この天皇自身も一般大衆芸能であった今様の大ファンであり、自らも第一人者といわれるほどの歌唱力をもっていたと言われています。現代の天皇陛下が歌謡界のトップスターで、あの透きとおった甘い声でヒット曲を歌っているようなものでしょうか。実にほほえましい姿で、想像するだけで顔もほころびます。

 「梁塵秘抄」は平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており,文学史や音楽史はもとより風俗思想史上にも重要な資料となっています。この歌謡集の中で最も人口に膾炙しているのは次の歌です。「遊びをせんとや生まれけむ、戯(たわぶ)れせんとや生まれけむ、遊ぶ子供の声きけば、わが身さへこそゆるがるれ」。歌詞の内容は「楽しそうなあの子らは、遊ぶために生まれて来たであろう。戯れしようとて、生まれたのであろう。子供達のあの声を聞けばわが身も浮かれて身体が自然と動き出す。」ということになるでしょうか。この歌の解釈はいろいろできるでしょうが、これまで長く苦難にみちた道のりを歩んできた人が、子供達に純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って欲しいと願う気持ちを詠ったものでしょう。当時の世相は、人々にこの世の終わりの到来を現実のものと意識させる暗澹たるもので、その混乱の最大の犠牲者は何も知らない子供達でした。しかも子供達は大人が勝手におこした戦乱の体験を自らの身体に刻み込んで次の世を生きねばなりません。そうだからこそ子供達だけには明るい未来が訪れるようにと祈らずにはいられなかったのがこの詩が真に訴えたかったことだと理解します。

 この歌謡集が編纂されたのは変革の時代です。権力が貴族から武士へ移る過程で、権力闘争の戦乱が続き、それに相つづく天災による飢饉が加わり、政情が著しく不安となります。現代の日本も混沌とした激動の時代です。経済不況の中で政情は安定せず、価値観が大きく転換してきているようです。平安末期と同じ暗い時代であったと後世から評価されるのではないでしょうか。過酷なまでの競争の結果、勝者のみが礼讃され、敗者は切り捨てられ、人としての道徳観は廃れ、責任を放棄し、すべてを世の中のせいにする社会となってきているのが気懸かりです。大人達の身勝手な行動に子供達は振り回されて未来への夢が描けなくなっています。その上に、映像メディアの発達は一つの出来事を臨場感あふれる姿でわれわれに迫ってきます。これが繰り返し流されるため、瞬く間に拡がり、われわれは冷静な判断を一層鈍化させます。真の原因は何処にあるのかを見失ったまま社会全体がパニック状態になりかねません。いや、既にパニックに陥ってしまったケースをいくつか挙げることができるでしょう。

 この殺伐とした時から抜け出すキーワードは「夢」とそれに向かう「気概」でしょうか。対極の意見の存在とそれを尊重する「多様な価値観」も重要であると考えます。