- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

「感性」

 奥の細道の一節、「山形領に立石寺と云山寺あり」で詠まれた句「閑さや 磐にしみいる 蝉の声」は伊賀が生んだ俳聖松尾芭蕉の句の中でも私の最も好きな句です。蝉の声だけが聞こえ、眼を閉じるとそれも寄せては消える波のように時には高く、時には低くなり、あたかも磐に吸い込まれていくような山の上の静寂を詠んだのでしょうが、声が磐にしみいるとの表現は実に鋭い感性の現れでしょう。これには驚かずにはいられません。「行く秋や 手を広げたる 栗のいが」も好きな句の一つです。栗のいがが裂けて開いていくのを閉じた手が広がったように見え、手に取ってみたいが痛くてとることができない、まさに子供心をいつまでも忘れない素朴な表現ととらえたいものです。芭蕉の研究者や俳句の専門家には別の解釈があるのかもしれませんが私の率直な感じ方です。この感性が教育や研究で特に大切と考えています。

 大英博物館の医学展示室の入り口にあるペニシリン発見のきっかけとなったA.フレミング(Alexander Fleming)の顕微鏡スケッチに感動したことを鮮明に記憶しています。カビのまわりのブドウ球菌コロニーが溶けているのを正確に画いていました。何百万人もの人を救ったペニシリンが1929年のこのとき発見されました。誰にでも見えることを誰もがこれまで思いつかなかった考えに至るのが発見だという人がいます。それは、豊かな感性に裏付けられた実に鋭い観察力によるものでしょう。
 その約10年後にイギリスの病理学者H.W.フローリー(Howard Walter Florey)と生化学者E.B.チェイン(Ernst Boris Chain)らによって、はじめて粉末状に分離され、大量生産の道が開けました。これを最初に臨床応用したのがオックスフォード大学の整形外科スタッフでした。骨髄炎(骨の細菌感染症)に対してペニシリンを投与します。1例目は失敗しますが、2例目で見事に大成功を収めます。たくましい忍耐力により導かれた結果です。そして第2次世界大戦の間に瞬く間に全世界に拡がり、数え切れないほどの命を救います。これぞまさに偉大なる人類への貢献です。フレミング、フローリー、チェインの三人はペニシリンの発見と実用化によって1945年にノーベル医学生理学賞を受賞しましたが、最初に臨床応用に成功した整形外科のスタッフ達は人々の記憶の彼方に消え去ります。人類の偉大な足跡をたどると行き着くのはチームワークです。主役、脇役がそれぞれの役割分担を心得てこその成果です。彼らと同じ整形外科医である私には、人類社会の進歩に貢献したとの誇りと、忘れ去られた残念さが入り交じる複雑な心境です。

 三重大学はこれまで地域との連携により独自性溢れる三重大ブランドを数多く作り出してきました。ここにも三重大学の教職員、学生の感性の豊かさを感じ取ることができます。しかし、地域を重視することは地域に閉じこもることではないことは伊勢神宮発展の経緯をみれば明白です。江戸時代、神宮のために御師達は全国行脚を展開します。そこで、いろいろな仕掛けをしながら積極的な営業活動を行います。並々ならぬ苦労だったでしょうが、それをやり遂げて、当時の人口の6分の1に相当するほどの人を伊勢の地に呼び込みます。交通手段や情報化の状況をあてはめると、現代ではそれはまさに世界戦略です。目的は地域であってもわれわれの活動の場は広く世界に求めなければなりません。そのことにより、国際的に注目を集める教育・研究の拠点を形成し、学際性に優れた成果を創出することができます。