三重大学広報・渉外室インターンシップ生です!
未来の受験生の皆さんに向けた「おもしろ授業・実習紹介」、第九回も特別編として、三重大学医学部附属病院で医師を務める岸和田昌之先生にインタビューへ伺いました!
岸和田先生は三重大学医学部医学科を卒業され、現在は三重大学医学部附属病院 肝胆膵・移植外科の医師を務めるかたわら、日本DMAT隊員として災害医療にも積極的に携わっています。
「事前に備える」をキーワードに、防災から膵がん患者さんを支える活動まで幅広く語っていただきました!
ぜひ最後までお楽しみください!
―普段はどのようなお仕事をされていますか?
岸和田:医師としては、肝胆膵・移植外科で診療を行っています。あわせて、災害対策推進・教育センターにも所属し、教育や啓蒙活動を通じて、大学病院の事前防災に携わっています。具体的には、病院は地震そのものへの備えだけでなく、地震後に多数の傷病者を受け入れるため、医師だけでなく、看護師、薬剤師、事務職員など病院全体が連携するための訓練を行っておく必要があります。災害対策推進・教育センターはそのための仕組みづくりや、防災訓練の実施、マニュアル整備などを行ったりしています。
大学の教育面では、医学部の授業・実習と教養教育科目の両方を受け持っています。医学部では、肝胆膵・移植外科の臨床実習として、学生に対して手術の見学や解剖の説明を、また学年によっては座学の講義も行っています。また年に数名程度ですが、研究室研修の指導もしていて、半年から1年ぐらいの間、災害対策に関する研究を学生と一緒に行っています。防災訓練に関するアンケート調査を行ったり、ARで浸水の高さのシミュレーションをした津波・水害の訓練を行い、その成果を日本災害医学会で発表しています。
全学対象の授業では「地域防災論」という、各学部の教員がそれぞれの分野から防災について講義するオムニバス形式の教養教育科目があります。私は医学部代表として、その中の一部の回で災害医療や応急手当てについて話をしています。
―岸和田先生は日本DMATの隊員でもありますが、DMAT隊員としてはどのような活動をされていますか?
岸和田:一言で言うと、「全ては被災者のために」っていうところに行きつくんですよね。医療者目線での「してあげたいこと」ではなく、被災者のために何をするか、被災者が何を求めているかっていうのは、災害発生から経過した時期によっても変わってきます。
元々 DMATというのは、阪神淡路大震災の経験を踏まえて、災害発生から72時間以内に組織的に医療活動を行えるチームを作ろう、ということから始まった団体なんです。例えば狭い瓦礫の下に埋もれている人がいたときに、瓦礫を除けるより先に現場で点滴や止血などの医療行為を開始することによって、助かる確率がかなり高くなるということがあります。ただ、東日本大震災や令和6年能登半島地震を経て、災害医療は直後の72時間だけでなく、災害発生から少し時間が経過した後の時期にも、被災者のためにできることはたくさんあるという考え方が今広がっています。
DMATはもともと「被災から72時間以内の医療活動のため」を目的として設立されましたが、災害発生から最初の1週間ほどの経過すると、救助されて避難所などにいる被災者の怪我や病状が悪化するケースが増え、被災地における医療のニーズが変化してきます。能登半島地震の時には私自身も2回出動しましたが、1回目の出動は、地震から 1 週間後くらいに病院支援として現地に入りました。この時期には、避難所など普段と異なる環境での生活によって、感染症が大きな問題となります。インフルエンザや新型コロナウイルス、胃腸性の下痢などの感染が起きた場合の管理というのもDMATの一つの仕事です。直接被災者を診療するだけでなく、発熱外来を設置・担当して被災した医療機関のサポートをすることもあります。また被災地では医療資源や人員が限られているので、被災地の病院では医療を続けられない人などを輪島市から比較的余裕のあった金沢市の病院へ搬送したりもしました。
2回目は1月末、地震発生から3~4週間目ぐらいに行きました。その時は地元の病院で夜間の当直に入ったり、トリアージタグの整理など医療従事者でないとわからない事務作業など、復興支援のための活動も行いました。最終的には被災地の病院が自力で運営できる状態に戻らなければならないので、ずっとサポートし続けるわけにはいきません。なので、災害でパンクして手が回っていない部分の補助を主にしていました。世間の災害救急に対するイメージや、使命感を持って憧れてくれている人たちは現場に行って被災者を助けたい、という気持ちが強いかもしれませんが、継続的な医療や被災地の医療の復興支援をするのも、今はDMATの大きな役割になっています。能登半島地震の時は、2月中旬までは全国からDMAT隊員が来ていましたし、栄養士さんやリハビリの人、医療ソーシャルワーカーさんとかは、 3 月末ぐらいまで各地に派遣されていましたね。
―災害医療現場での印象的な出来事はありますか?
岸和田:避難所から50代の女性が発熱を訴えて来たんですが、検査の結果で新型コロナウイルス感染症と分かりました。感染者が出た場合、避難所ではゾーニングと言って感染者を分けて対応しますが、一緒に避難していた80代のお母さんには認知症の症状があり、娘さん以外の支援が難しい状況とのことでした。私たち医療従事者は、診察・診断をしたり、抗生剤や解熱剤を処方することはできますが、その後に続く避難所生活のサポートや、感染者であるお母さんとそのご家族を引き離して隔離すべきか否かの采配までは解決してあげられないので、不甲斐なさを感じることもありました。ただ同じ場面でも、医療従事者から思いやりの言葉掛けがあるだけで被災者の心は落ち着きます。なので、これから医者を目指す人たちには、技術や知識ももちろん必要ですが、患者さんや被災者の心を思いやれる気持ちも持ち続けてほしいと思っています。
現在はDMATと並んでDPATという精神医療を専門としたチームも派遣されることがあります。災害直後には、慣れない避難所生活や大切な人を失った悲しみから、心の不調を感じる方が多く見られます。こうした方々に対して、耳を傾けたり、必要に応じて薬を使った支援を行うことも、災害医療の大切な役割です。また、DPATは被災者だけでなく、現地で医療支援にあたる医療従事者のメンタルヘルスケアも担うことがあります。医療従事者医療従事者の心の健康を守ることも重要です。
―今までの中で特に大変だった仕事は?
岸和田:私は災害対策推進・教育センターのセンター長なので、災害が起こった際はこの病院の災害対策本部を立ち上げなければいけません。能登半島地震は1月1日に発生しましたが、お正月の期間中だったので、帰省していたり、すぐに出動できない状況にある職員も多くて。三重大学病院として責任を果たすために、DMATを派遣するための人員調整はものすごく大変でした。なので、今回の経験を踏まえて、今後はさらに制度を整える必要があると思って、マニュアルを大きく整備しなおしました。組織をまとめるっていうのが 1 番大変です。私の専門である膵臓がん医療にも言えることなんですが、普段から人と人とのコミュニケーションを大切にして、周りの人でも得意分野や生活スタイルを知っていたら、緊急時でも人を集めて強い組織を作ることができます。なので、高校生・大学生の皆さんには勉強もしっかりしてほしいですけど、普段から他校や他学部の先生や学生、他職種の人とも積極的に連携・交流することを大事にしてほしいと思っています。
災害現場での経験として、現場へ急いで駆けつけたくても、道路や交通などのインフラが崩れてしまっていて、通常なら1時間で到着できる場所でも想定以上の時間を要する葛藤がありました。また、被災地に到着しても、すぐに医療活動を開始できるわけではありません。能登半島地震の時は現地の先に到着していたDMATスタッフから「役割分担が決まるまで少し待っていてほしい」と依頼され、到着後6時間待機することもありました。現地のスタッフや先着していたDMAT隊員も目の前のことで手一杯で、災害発生から1 週間経っているといえども現場は混乱した状態でした。 通常時であれば「10時に集合」と言われたら 10 時からすぐ医療を始められるところを、傷病者を医療搬送する場合では「家族がいないと決定できない」「受け入れ先の病院が見つからない」といった理由で、10時に予定していた搬送が、実際には夕方の5時ころになることもありました。このように、普段通り、被災地では物事が普段通り、あるいは予想通りにいかないことも多く、その点が大きな葛藤であり、同時に大変さを感じる部分でした。逆に医療行為そのものについては、大変だとはいえ私らにとってはすごくやりがいがあります。人や物資が十分に揃えば時間をロスすることなく救えるので、それが被災地での災害医療の難しいところですね。
医師も出来ることならそれぞれの得意分野、僕であれば傷の縫合などの外科診療をしたいんですよね。でも災害時には必ずしもそうはいかない。そう、「全ては被災者のために」、その場のニーズに合わせてあらゆる医療行為を行わないといけません。私は大学病院では肝胆膵・移植外科という特化した診療科を担当していますが、災害時に必ずしもその専門分野が役立ったり必要とされたりする訳ではないので、患者さんの症状やその場にある医療資源に応じて臨機応変に対応することが大切になります。なので、災害医療は自分の専門だけでなく、感染症や糖尿病、心臓の血管など様々な分野や、救命医療そのものの知識・技術も幅広く求められます。防災において事前の学習や準備が必要なのと同じように、医療従事者にとっても事前の備えが大切になります。
また大学・大学病院内では、学生だけでなく職員、特に病院のスタッフに対して防災教育を行っています。病院内での防災訓練や教育は、職員も平常の仕事がある中で行わなければいけないので、より短時間で効果的に、さらに仕事の時間内に仕事の一部として参加してもらうにはどうしたらいいかと考えながら行っています。「災害から逃げる」ことを目的とした防災訓練は大学やほかの施設でも行われていると思いますが、病院の場合は逃げるのではなく、災害から避難してきた人や傷病者を「受け入れる」ための訓練が必要なんです。そのためには防災訓練そのものだけでなく、事前に行う机上訓練やロールプレイングも大切です。特に机上訓練は毎月、通常の会議の前後に時間を取って行っています。
また毎年大学病院で大規模な避難訓練を行う際は、患者役などのボランティアを三重大の学生さんから募集しています。こういったイベントも防災意識を高めるきっかけになると思うので、ぜひ学生さんやこれから入ってくる高校生の皆さんにも積極的に参加してもらいたいなと思います。キーワードは「我が事のように考える」です。
―DMAT隊員には志願してなられたのですか?
岸和田:志願しました。災害医療に関わろうと思った理由はいくつかあるんですが、最初のきっかけは阪神淡路大震災でした。その当時私は三重大医学部の2年生で、下宿の2階にいたんですが、激しい揺れに「もうこれは死ぬかもしれない」と思いました。地震発生から1週間目ぐらいには、医学生の自分にも何かできることがあるんじゃないか、また医学生として今災害のことを知っておいた方がいいんじゃないかと思って、リュック一つを背負って神戸へ行きました。ただ当時はまだボランティアの体制などは今ほどしっかり整えられていなかった上、現地で自分にできることは何もなかったんです。その時に、こうした非常事態に備えて知識と技術をつけて、どういう風に動いたらいいかを事前に知っておくことの重要さを痛感しました。その後、医師になって7、8 年ほど経った頃に救急科にローテーションで配属され、その当時にちょうどDMATという組織が作られました。私は阪神淡路大震災の時の経験もありましたし、災害医療のことも知っておけばいずれどこかで役立つかもしれないなと思い、DMATの研修に参加することにしました。普段行う診療の99%は普通のがん医療ですが、何か起こった時のために知識や技術を備えておいて、残り1%の引き出しとして持っておきたいと考えたんです。
また、私が研修を受けた当時は、応募して研修を受けたらすぐにDMAT隊員になることができたんですが、実は今は志願者が多くて、DMAT隊員に志願したとしても1 年半~2 年待ちくらいなんです。せっかくみんなが使命に燃えてるのに、枠が決まっているのでなれない。ただ、今は私が所属している「日本DMAT」に加えて、全国規模ではなく都道府県単位で講習を行い災害に備える「ローカルDMAT」の育成が進んでいます。災害が発生しても、1人の隊員が2回以上被災地に出動するのは体力的にも精神的にもしんどいんですよね。なので、日本DMATとローカルDMATが合同で被災地に赴くことで、負担を減らせるようになりました。三重大学医学部附属病院にはDMATに登録している人が25人ほど所属しています。そのうち医師は10人ぐらいで、他には看護師や医療事務担当の方が所属しています。三重DMAT隊員も徐々に増えてきています。
―岸和田先生は「パープルリボン」の活動にも力を入れていらっしゃるそうですが、どのような取り組みなんですか?
岸和田:私は肝胆膵・移植外科に所属していると話しましたが、パープルリボン活動はその中の、膵臓がんの啓発活動です。近年、がんは早期発見すれば5年生存率が90 %と高いものもあり、かなり治療が進んでいるんですが、膵臓がんは5年生存率が10%程度と、すべてのがんの中で最も低いんです。死亡者数もどんどん増えていて、早期に診断や専門的な治療を受けることが非常に重要です。三重大病院のような総合病院は、外科だけでなく化学療法や放射線療法、リハビリなどの環境が揃っています。なので、こうした総合病院に受診していただくことが予防や早期発見にとても繋がるので、そのための啓発を行っています。
ほかには「膵がん教室」や「膵がんグルメディカル教室」という、患者さんやそのご家族の方を対象にした活動も10年以上続けています。がん治療を受けている患者さんやそのご家族は、どうしても食事や薬剤治療、また精神的にも悩みを抱えてしまう場合が多いです。そうした患者さんやご家族に対する支援をしていくために行っている活動です。日本国内で膵臓がん診療ガイドラインというものが発行されているのですが、私はこれらの啓発活動を元に、患者さん・ご家族向けの部分の執筆を担当しています。「すべてはがん患者さんのために」ということで、最終的にはより多くの患者さんが早期発見によって適切な治療を受けて、みんなが幸せになってほしいなと思っています。
膵臓がんは非常にリスクが高いにもかかわらず、実は啓発活動を行っているのは全国で三重大学だけなんです。そのため、学生さんをはじめ若い人にも知ってもらい、さらにご家族の中で話し合っていただきたいと思っています。こうした活動は、一般の人だけでなくメディアや行政と繋がることでより啓蒙が進む部分もあるので、これからも積極的に行っていきたいですね。
―医師として、また災害医療隊員として働くうえで、大切だと思われることはなんですか?
岸和田:まずは基本的なことですが、正しい知識と技術を身につけることです。日頃から学習や訓練を重ね、着実に力を養っていくことが大切です。二つ目は、家庭内でしっかりと相談をしておくことです。DMATとして災害現場に派遣された場合、活動中に思わぬ事故や二次災害に巻き込まれ、けがをしたり、命の危険にさらされる可能性があります。そのため、万が一の事態も想定し、あらかじめ家族とよく話し合いをしておくことが大切です。現場で大切なのは協調性ですね。DMATとして災害現場に派遣されるとき、現地で一緒に働く人の多くは初対面の人たちです。なので、コミュニケーション能力も大切だと思います。
大切なことは色々ありますが、これから医師を目指す人もそうでない人も、学生のみなさんには「何が必要かを想像する力」を養ってほしいと思います。本をいっぱい読むだけではなく、自分の頭の中で考えることが重要です。たとえ災害現場で医療に携わることになったとしても、例えばトイレや睡眠など自分の体調を管理できなければ人を助けられない。電波が通じない可能性もあるので、紙の地図を読んだりトランシーバーを活用したりする必要も出てくるかもしれません。技術と知識だけでなく、様々な状況に対応し、他の人と協調する力を身に着けてほしいと思います。
―岸和田先生は外科学/肝胆膵・移植外科学の実習をご担当されているということですが、医学科の実習ではどのような指導をされていますか?
岸和田:医学科では、解剖や手術の術式を解説することが多いですね。解剖の実習や手術の見学についても、ただ見たり参加するだけではダメで、事前にCT画像や教科書の解説を頭に入れて、人体のマップを頭の中に描いておいた上で行うことが大切です。なので、事前学習の大切さを含めて実技の指導をしています。災害医療も肝胆膵の診療も同じで、最終的なゴールは患者さんや被災者が救われることです。このことを念頭に置いて、そのために何をすべきかを考えて準備しておくことが必要です。手術の場合も患者さん一人ひとり血管の通っている場所などに違いがありますから、体内の構造をしっかり事前に勉強してイメージしておけば、イレギュラーにも対応できるし、合併症の発症も減らすことができます。何事も、事前の備えが大切です。
座学を担当する際は、医学科の3年生を対象に膵臓がんの診断や治療についての講義を主にしています。
―卒論や修論のテーマは何でしたか?そもそも、医学部医学科に卒論はあるんでしょうか......?
岸和田:医学部医学科を卒業するときはいわゆる卒論はなく卒業試験だけなんですが、大学院を修了するときはほかの研究科と同様に論文を書く必要があります。私は医学部を卒業した後医師として6 年働いて、改めて30歳ぐらいで大学院に入り4年ほど勉強していました。ラットの肝細胞を使って、感染などの刺激があった時の凝固系の変化や、DNA等の物質の増減など、私の専門分野である肝胆膵・移植外科に関する研究を行っていました。
医学部医学科の間はがっつりとした研究をすることは少ないかもしれませんが、1年次の研究室研修では災害医療について初歩的な発表やレポートなどを作成するカリキュラムも行っています。
―先生の学生時代の思い出を教えてください。
岸和田:ひたすらクラブ活動に打ち込んでいました。中学・高校時代に陸上をやっていたので、大学時代も医学部の陸上部と全学の陸上部を掛け持ちして入ってました。でも陸上部の練習も毎日はなかったので、その合間にラグビーもしてました。月・水・金曜と土曜の午後はラグビーを、火・木曜と土曜の午前は陸上をやって、日曜日は試合に出るというかなりアクティブな学生生活を送っていましたね。その縁もあって、今は陸上部の顧問をしていますし、昨年3月まではラグビー部の顧問も兼任していました。勉強もそれなりにしましたが、クラブ活動に夢中でしたね。
―三重大出身の先生から見て、三重大の魅力は何だと思いますか?
―岸和田:やっぱり1つのエリアに全ての学部が集まっていることで、学生自身が求めれば交流が広がるのが魅力ですね。また私自身も、学生時代は交流がなかった人でも、近くにほかの三重大出身の先生方がいることによって、研究や事業、イベントを広げていくときに、分野を超えたコラボがしやすいと感じています。同じ三重大出身で今また三重大の医師や教員をしている同士のよしみで協力しあうこともありますから、三重大愛みたいなのが生まれていくのは魅力だと思っています。
―学生のうちにやっておくべきことは何だと思いますか?
岸和田:社会経験を積むことやと思います。1つのことだけではなく、勉強からアルバイトまで色々なことを通して幅広くコミュニケーション能力をつけてほしいです。幅広くやるのが苦手な人もそれはそれで、自分が夢中になれることがあればいいんじゃないかなと思います。学生時代に身に着けたコミュニケーション能力が、他職種との連携にも繋がっていくので。
―これから三重大に進学するかもしれない高校生に伝えたいことはありますか?
岸和田:三重大はいいところだと思いますよ。他の有名な大学と比べたらガツガツしてないけど、いろんな可能性が詰まっている大学だと思います。三重大でしかできない研究もありますし、そうした他の分野ともつながりやすい。三重大で出来た繋がりは卒業した後も活きると思います。