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Mathematics≒数学
 語源は「知学」である!

2015.6. 1

Mathematics≒数学 語源は「知学」である!

教育学部・教授 新田 貴士

新田教授の写真

零の発見

Mathematicsの中で最大の発見は?零の発見。では誰が? インド人、と皆さんご存知でしょう。では一体、零の発見とは何でしょう。中学校で学んだ次の簡単な2つの英文を思い出してみて下さい。
A. I have no money.
B. I do not have any money.
一見どちらも同じ意味に見えますが、本当に同じなのでしょうか。零の発見とはこの文Aと文Bの意味の明確な違い、つまり、空と無の違いの発見なのです。従って文Aは「私は空なるお金(0円)を持っている」、文Bは「私は何もお金を持って無い」となります。では「何も無い」というのは本当に何も無いのでしょうか。いいえ、「何も無い」と言っている観察者の"私"が残ります。では、"私"とは一体何でしょう?

説明図:私は全くお金を持っていない

3種類の私

次の文章は正しいでしょうか。「私は肉体を持っている」。おそらく多くの人は「正しい」、 一部の人は「正しくない、肉体も私の一部です」と答えるでしょう。持てるものとは自分より外にあるものですから「正しい」と答えた人の"私"とは心だけの自分を指します。「正しくない」と答えた人は、"私"とは心と肉体を含めた生き物の自分と考える人と、周りの環境や社会をも含めた"私"が自分であると考える人に分かれます。このように"私"と一言でいっても「心の私」、「生き物の私」、「社会と共にある私」と、3種類あることがわかります。

説明図:3種類の私

4種類の知

説明図:4種類の知

3種類の異なった"私"からみると、同じ世界でも異なって捉えられます。その捉えられるものを哲学者や心理学者の名前を用いて知と呼ぶと、まず「心の私」から観察した知は、"我思う故に我有り"というデカルトの考えた知ですから、デカルト的知と言えます。これは科学とも呼ばれます。生き物とはいつか命の終わる物ですから、「生き物の私」からは、有限な時という概念が生まれます。1+1=2のように時とともに変わらない普遍な知、それをプラトンは知と呼びましたので、プラトン的知と言えます。時によって変化する、瞬間瞬間の知は"存在と時間"の中でハイデガーが扱った知ですから、ハイデガー的知と言えるでしょう。最後に「社会と共にある私」からは、共時性や集合的無意識が出て来ます。それはユングが研究した知ですからユング的知と言えるでしょう。

無限大と日本文化

説明図:無限大と日本文化

それでは、プラトン的知である数学を用いて3種類の私から見る利益について考えてみましょう。数や無限大数には階層があることを人類が数学において発見したのは、比較的最近のことです。その解析方法を「超準解析※」と言い、これを3種類の私に応用すると「心の私」の利益と「社会と共にある私」の利益の量の大きさは全く異なることがわかります。どの「私」かによって利益の大きさも異なってくるのです。

現在、世界中で持続可能な発展、自然との共生が叫ばれてきています。日本人は"人の目を気にし過ぎる"、"個性が無い"とよく言われますが、それは日本古来の文化の根底に「社会と共にある私」をおいているからなのです。式年遷宮のように建物の建て替えを行う日本文化独特の永遠を作る方法や「もったいない」という概念は日本古来の文化です。このように日本古来の文化の中には持続的な発展や自然と共生する多くのヒントが隠されているのです。そのヒントを発見するのはもしかしたらあなたたちかもしれません。

(参考文献)
新田貴士、中野正孝(2015)「3種の"我"と3種の"医療"」『三重大学教育学部附属教育実践総合センター紀要』第35号 pp.33-40

説明図:超準解析とは

【この記事は『三重大X(えっくす)vol.31』(2014年1月発行)から抜粋したものです】