「国」の文学から「世界」の文学へ
  ~国際的な視点で見る日本文学~

2017.3. 8

「国」の文学から「世界」の文学へ
  ~国際的な視点で見る日本文学~
教育学部・講師 和田 崇

和田先生の写真

日本文学の国際性

日本の文学作品は、「国文学」や「日本文学」という呼ばれ方をしますが、これは必ずしも適当ではありません。たとえば、日本の新人作家の登竜門である芥川賞では、1996年にアメリカ出身のリービ英雄が候補となり、2008年には中国出身の楊逸が受賞、その後も2009年と2010年にイラン出身のシリン・ネザマフィが候補となっています。また、ノーベル文学賞を受賞した川端康成や大江健三郎、そして次の期待がかかる村上春樹など、日本人作家の小説は世界各国で翻訳されています。もはや、「日本」という枠組みだけで日本の文学を語ることは難しくなっているのです。

プロレタリア文学の翻訳と伝播

イラスト:プロレタリアの解説

近年の日本文学研究では、こうした日本文学の国際性や越境性に注目が集まっており、私は現在、戦前期のドイツにおける日本のプロレタリア文学の翻訳状況を研究しています。たとえば、1929年に刊行された徳永直の『太陽のない街』は、翌年に早くもドイツ語に翻訳され、ドイツ語からの重訳というかたちで、ヨーロッパの各国へ翻訳されていきました。日本の文学作品は、戦時中に国策として他言語への翻訳出版が進められますが、プロレタリア文学は、それよりも早く民間レベルで各国への伝播が試みられたという点で注目されます。

小林園男「出発」翻訳の比較 (図をクリックすると拡大表示します。)

徳永直「太陽のない街」伝播の過程

日本語の特質の再認識

日本文学の翻訳を研究していると、面白い発見が多くあります。たとえば、上の図は、1930年のドイツの新聞に掲載された小林園夫の「出発」という詩の翻訳ですが、原文と比べると、「出発」だけでなくその次の詩の一部も翻訳してしまっていることがわかります。しかも、「DAS VERBOTENE LIED」(禁じられた歌)というドイツ語のタイトルは、上の図青枠の箇所から採られたものです。これは日本の縦書き二段組みの読み方がわからないために起きた誤訳です。現在、日本のマンガが翻訳出版される際に、巻頭にコマ割りの読み方が掲載されることがあるのも、こうした誤読を防ぐためです。このように、日本文学の国際性を意識することで、反対に日本語で書かれた文章の特質について再認識することもできるのです。

【この記事は『三重大X(えっくす)vol.37』(2017年1月発行)から抜粋したものです】