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大学・市民連携による持続的地域文化運動の構築~奥熊野の山村・湯谷村文書の調査と活用~

事業の概要

 熊野市中心部から奈良県北山方面に十数キロ入ったところにある五郷の湯之谷は、現在はわずか24戸しかない山間の小さな集落である。だが、平家の落ち武者伝説、南北朝の争乱後に南朝勢力が逃げ延びた地との伝承、慶長19(1614)年に大坂冬の陣に際して蜂起した北山一揆で大弾圧を受けるなど、極めて個性的な歴史を持つ。熊野林業の中心地でもあり、近くには漂泊の民・木地師の集落(池の平)があったことも分かっている。 

 この村に残る湯谷村文書は、これまで17世紀半ば以降の年貢免状を中心に1983(昭和58)年に刊行された熊野市史でごく一部は利用されている。だが交通が極めて不便なこともあり(公共交通は、週に1度の市営バスが通うのみである)、本格的な調査はなされず、全貌も明らかになってはいない。そこで、現在この文書を管理している湯谷在住の林業家・尾中剛治氏の了解を得て、三重大とし熊野市の市民グループと共同して当文書の調査に着手することとした。

 塚本研究室では2001年以来、東紀州地域での文化財調査を市民と共に行ってきており、1万3千点に及ぶ尾鷲組大庄屋文書の整理(2008年に報告書刊行)のほか、一昨年度・昨年度は地域貢献事業支援助成を得て、熊野市大泊町善根宿納札の調査を地元市民団体・熊野古文書同好会と共同で行った。熊野市教育委員会及び三重県立熊野古道センターの助成金を得て、市民と共に報告書を編集・刊行したほか、三重県立博物館の移動展示の一部をも担当した。展示期間中に調査報告会を行い、熊野市民を中心に169名もの聴衆を集め、地元マスコミ関係でも再三にわたり大きく報道された。地元では、引き続き三重大による文化財調査とその活用を通した分化活動の継続を求める声が強い。当該文書についても、その史料の価値を説明して欲しいとの要望も地元から寄せられている。三重大としても、学術的な意義のみではなく、地域文化運動を継続させることによる社会貢献となり、また文化財に直接触れることによる学生の教育的効果も大きい。