斎王の食事はおろか、平安時代の食事については文献による根拠が非常に乏しい。王朝文学においても、我が国では食べることは私的なことという道徳観によるのか、食事については触れられていない。
1)食材について
そこで、何を食べていたのかを明らかにするために、「延喜式」の「斎宮式」にある調庸雑物条、年料供物条、月料条などに見られる斎宮の食材を拾ってみる。
斎宮の食材
この他、今日の食材と照らしてみて、菜の類(大根、かぶら卒どの根菜、水菜や芥子菜のような葉菜や山野草類)、里芋、ずいきのような芋類などが想定できるが、延喜式には出てこない。これらは保存性がないので、税として収取されるものでなく、自前で生産していたと考えられる。また、斎宮は伊勢湾に面していると言っても過言ではないが、伊勢湾でとれる雑魚や貝類、海草などについても記載がない。これらも日常の食生活には用いられていたものと推定される。
2)献立の検討
献立についても文献が少ないが、「類聚雑要抄」の巻1に永久3年(1115)7月21日に関白右大臣殿東三条移御(いしょう=引っ越しのこと)の御前物の台3本定めの条に、次のような献立が見られる。
そこで、これらの献立の中で、上記の食材から作ることが可能であるかを検討した。
献立の検討
そこで、再現する斎王の食事として、可能な食材と「類聚雑要抄」から、献立順序、盛りつけ台と共に、次のように考えた。
再現する食事
3)原材料と調理
調理の必要なものについて述べる。
調理
4)盛りつけと器
盛りつける器については、永久三年七月二十一日戊子 関白右大臣殿東三条へ移御御前物の台三本の定めによれば、箸や匙だけでなく、皿や酒坏まで銀製品であるので、象徴的な意味を持つ特別な饗饌であると思われる。今回もこれに準じ、すべて銀製(実際はステンレス製)の金属食器を用いた。
盛り付け
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