東アジアの越境性大気汚染・酸性雨問題の現状と未来像

朴 恵淑
(三重大学人文学部教授・市民フォーラム2001共同代表)


I. 問題の定義

 大気汚染物質は大気中に排出されたのち、輸送、拡散、科学的反応をしながら究極的には地表面に沈着する。排出された硫黄酸化物は硫酸に、窒素酸化物は硝酸に、炭化水素は有機酸に変質し、大気中の粒子または水滴を酸化する。このような酸化作用のうち、一番知られているのが酸性雨である。酸性雨が生態系に悪影響を与えた例は、ヨーロッパやアメリカで1960年代以降、数多く報告されてきている。大気汚染物質は気象条件によっては数千Km輸送され、他の国に影響を与えることもある。特に、越境性大気汚染問題は国家間の環境問題を引き起こす。中国の硫黄酸化物排出量は日本、朝鮮(韓)半島、モンゴル、極東ロシアの総排出量の8倍程度にもなると知られており、窒素酸化物も2倍を超えることが知られている。莫大な大気汚染物質を排出する中国の東側に位置している日本、韓国はその影響を受けることになる。越境性大気汚染・酸性雨問題の焦点はどのくらいの大気汚染物質がよその国から輸送されてきたかにかかっている。もし、よその国からの大気汚染物質の寄与度が大きい場合は、局地的な大気汚染削減対策は相対的に効果が小さくなるためによその国からの大気汚染物質の削減に政策を転換しなければならない。

II. 科学的な研究結果

 大気汚染物質の「輸出入」に関する研究はこれまでに数多く行われてきた。RAINS−ASIAは、ヨーロッパの越境性大気汚染物質の排出を削減するための基礎資料としてRAINS−Europeの研究の方法論をアジアに適用した研究として、アジアの大気汚染削減を議論するための基礎データを目的として世銀・アジア開銀などの支援によって実施された。これまでの研究結果をみると、過去25年の間、アジアの一次エネルギー需要は世界平均より、2倍以上増加しており、需要の80%以上は石炭、石油などの化石燃料による。アジア地域の燃料消費量はすでにヨーロッパや北米の水準に達しており、今後25年の予測によると、化石燃料消費量が2-3倍増加すると予測されている。アジアの二酸化硫黄の排出量は1975年の17.1Tgから1995年に39.3Tgに増加しており、年平均増加率は4.3%である。1990年代に入って、多くの国で大気汚染削減政策が始まり、中国も硫黄含有量が多い石炭の使用を制限し始め、経済不況の影響によって二酸化硫黄の排出量の増加率が減少し始めた。1995年以降のアジアの二酸化硫黄の排出量は39.3Tgから2000年に38.7Tgに減少しているが、これは主に中国の排出量が減少したことによる。

 硫黄酸化物と硫酸塩粒子の沈着量の推計結果によると、沈着量が多い地域は1975年以来、韓国、日本、中国の四川、重慶地域で表れ始めた。それ以来、沈着量の多い地域は中国の東部、西南アジアに拡散され始めた。沈着量の多い地域は主に、大量排出源が多い地域に当たるが、日本の場合は異なる傾向を示している。1975年と1995年との間に日本の硫黄酸化物の排出量は25%減少したが、硫黄沈着量は増加している。その要因は東アジアからの大気汚染物質の長距離輸送によるものである。1979年の場合、中国の沈着量に対する寄与度は20%ほどであったが、1995年には40%ほど増加している。中国の影響を定量化する研究は、日本の研究者を中心として行われている。表1はこのような研究結果の一覧である。

 中国のHuangを除くすべての日本の研究者は中国の寄与度が30%以上として予測しているが、中国のHuangだけが3.5%を予測している。このように、モデル間の差は用いた気象条件の差、排出量の差に拠る。中国のモデルは中国内の大気汚染に効果的に除去されると予測している。この問題は政治的な問題ではなく、科学的な問題であるために共同研究を通じて予測モデルの相違点を理解し、評価する過程が必要となる。このような差は、各国のスタンスの差を示していると考えられこのような差の原因が明らかにされるまでは、真の国際協力は難しい。


III. 東アジア各国のスタンスの差

 越境性大気汚染問題について東アジアの日本、韓国、中国の三国の立場には大きな差がある。日本は1970年代以降、強力な大気汚染削減政策にも関わらず、自国の酸性雨問題が改善されていない理由は他の国から排出された大気汚染物質の流入によると考えている。日本は1983年から全国的規模の酸性雨測定ネットワークを稼動している。冬に日本海(東海)に面する地域で酸性物質が多く沈着することにも注目している。日本は酸性雨または越境性大気汚染物質に対する共同研究と国際協力について積極的に提案をしている。日本の環境省(国立環境研究所)と通産省(資源環境総合研究所)、電力中央研究所を中心とした大気汚染物質の排出量の推計、酸性雨原因物質と酸性雨の測定に関する研究を中国、韓国の研究者との協力を通じて推進し、研究成果を出していた。これとは別に環境省のイニシアチブによる東アジアの酸性雨を共同で測定することを目的としたEANETを推進している。しかし、中国は自国の酸性雨問題が西部と西南部で深刻化し、全国的に拡散しているが、中国で排出された大気汚染物質がよその国に与える影響は少ないと考えている。中国が他の国に及ぼす影響を明らかにする努力には消極的に参加している。酸性雨問題は国内の問題のみ考えており、大気汚染削減のための資金及び技術を提供されている会議では積極的に参加しようとしている。RAINS−ASIAの研究結果に対してはまったく認めようとしない立場をとっているが、その理由は研究に使われた排出量の資料が政府の公式資料ではなく、不確実性の高い資料が使用されたことによる。

 韓国は、韓国の大気汚染物質が他の国に影響を与えると同時に他の国から大気汚染物質が流入してくるという状況にある。全国的な酸性雨モニタリングは1983年から実施されている。1990年代に入って科学技術部、環境部の研究支援を受け、各研究機関の横断的な酸性雨研究が始まった。1995年からは国立環境研究院を中心として大気汚染物質の長距離輸送に関する研究が進められている。国際協力のためのLTPという専門家レベルの韓国、中国、日本の三国間共同プロジェクトが実施されている。


IV. 国際研究協力を進展させるための提案

 東アジアの環境協力のためにいくつかの組織が運営されているが、酸性雨問題と密接な関係を持つ組織はLTP、EANETが挙げられる。LTPは韓国の環境部と国立環境研究院が中心となって組織した酸性雨に対する共同研究プロジェクトである。1999年から5年間、韓国、中国、日本の三国共同研究を実施することとなり、モニタリングデータの交換、排出量算出、排出量予測モデルの活用を共同で行っている。2000年8月には第一期の研究結果が報告され、12月には年次報告書を発行している。EANETは日本の環境省が中心となり、1993年以来数回の会議を通じて2000年10月から政府レベルの機関として正式発足した。参加国は東アジア、東南アジアの10カ国で構成され、酸性雨の共同測定のためのガイドラインが作成され、今後、生態系と人間に及ぼす影響を研究する計画となっている。

 東アジアの酸性雨または大気汚染物質に対する協力組織は存在しているが、実際の協力はまだ発展途上である。したがって、国際協力の活性化のために次のような提案を行いたい。まず、各機構間の直接対話が必要である.各々の機構は独自の計画を持っており、他の組織の活動には関心を持っていないため、効率が落ちる。特に、LTPとEANETはその研究目的または内容面で重複している部分が多く、相互に補完していく努力が必要となってくるだろう。2つのプログラムの特徴としてLTPは韓中日を対象としており、EANETは東アジア諸国を対象としている。また、LTPは専門家レベルであるが、EANETは政府レベルである。EANETとLTPが別々に計画を進行しながら業務の統合または分離を考慮しなければならない。例えば、モニタリングはEANETが担当し、LTPはモデリングを主たる目的とすることも考えられる。LTPではEANETで作成された共同測定のためのガイドラインをLTPプロジェクトの特定分野研究に利用することが決定している。アジアの測定網を拡充し、測定項目を増やす必要がある。LTPでは、各国で2つの地域(韓国では4つの地域)のガス状物質と酸性雨測定データを収集しており、EANETでは各国から2つの地域(中国では4つの地域)で測定した酸性雨データを収集している。中国は特に面積が広いため、多くの地域で測定をする必要があり、測定地点が代表性を保つための場所の選定に注意しなければならない。

 大気汚染物質は雨が降らなくても他の国に流入していくため、酸性雨測定だけでは全体の影響が分かりにくい。アメリカとカナダの研究者によれば、東アジアから大気汚染物質が流入することによって北米大陸西部のオゾン濃度が2〜3[ppb](ppbは百万分の一)上昇したことになっているが、オゾンの背景濃度が20〜30[ppb]程度であることを考慮すると、上昇効果は大きいということが言えるだろう。背景濃度が上昇すると、大気環境基準を守るのは厳しくなる。酸性雨の他にもオゾンをはじめ、ガス状の大気汚染物質、粒子状の大気汚染物質、1990年代に特に問題となっている残留性有機物質(POPs)の濃度を監視できる測定網として発展させることが望ましい。

 共同研究協力のためにはリーダーシップと責任の共有が必要である。現在の機構、あるいはプログラムはある特定の国が主導したことが明らかで、活動内容における主導国がほとんどのことを決定する傾向がある。真の環境協力のためには主導権争いであると誤解を招く活動をやめ、参加意識を高め、総合の信頼を築くのが重要である。例えば、硫黄酸化排出予測と沈着シナリオを提供することを目的としたRAINS-ASIA研究がアジア地域で資料として使われていないことは研究の問題というよりはアジア各国の参加が制限されており、信頼がまだ形成できていないためである。特に、中国は加害国で他の国が被害国という認識が続く限り、中国の積極的な参加は期待できず、中国政府が正式に認めていない研究は有用性が落ちる。したがって、各国の最高水準の研究者を参加させ、相互信頼を築く長期的なプログラムが必要となる。リーダーシップを共有することで得られる利点は参加国が必要とする研究分野を提案し、もっとも先進的な技術を提供することで地域内のすべての国家の水準が向上するWin−Win戦略が可能となる。閉鎖的な運営ではこのような提案は受け入れられにくい。したがって、研究協力のためのプログラムに各国の研究者が責任主体として参加し、各国の研究結果の信頼性が確保できる制度的装置を用意しなければならない。


V. 環境協力の活性化のための提案

 東アジアは多数の国で構成されているためにアメリカーカナダの協力モデルよりはヨーロッパのモデルがより適用しやすい。ヨーロッパのEMEPを参照する必要がある。また、ESCAPまたはAPECの環境担当が参加し、全体的な調整をする役割を検討しなければならない。このような組織は究極的にはアジアの酸性雨に対する削減対策に必要な費用を算出し、誰が負担するかを決定する討論の場にならなければならない。先進国はODAを含め、開発途上国の環境改善を助けられる方法を考え、世銀・アジア開銀・GEFなどが参加することが望ましい。韓国・中国・日本の三国以外にも極東ロシア、モンゴル、北朝鮮、台湾などが参加することが望ましい。中国の参加がもっとも重要であり、中国の大気汚染を改善するのに必要となる費用と便益を算出する研究を共同で支援し、中国が積極的に参加できるようにしなければならない。費用負担に対する原則と中国が必要とする大気汚染削減技術と資金を支援する方法についての議論が必要となる。酸性雨問題は研究者、政治家だけの問題ではなく、すべての人々にとって重要な問題である。酸性雨に対する研究は国際交渉の過程にNGO、汚染物質を大量に排出する企業、大気汚染削減技術を提供する企業を参加させなければならない。NGO組織は市民の関心と積極的な参加をリードし、大気汚染物質の研究及び交渉過程を監視する役割を担う必要があり、汚染排出企業または環境産業は具体的な削減方法と費用の算出をし、大気汚染削減対策を早期に実施できるよう、貢献しなければならない。

*本研究は、2000年12月9日に、三菱化学生命科学研究所・読売新聞社主催による東アジア酸性雨・国際協力シンポジウムの際に発表された「東アジアにおける酸性雨問題と国際協力の可能性に関する日韓共同研究」の沈 相圭・金 ヨンピョ・朴 恵淑の共同研究結果に基づいた。
SYMPOSIUM
THESIS
OUTLINE