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江戸時代の漢学者「斎藤拙堂」碑を三重大学に移設

2015年03月30日

3月27日(金)、三重大学事務局棟前の築山において、「斎藤拙堂」碑移設除幕式を行いました。

斎藤拙堂は津が生んだ江戸時代の著名な漢学者で津藩藩校有造館の督学を務めた人です。63歳で引退した後、津城の北、茶磨山下(現在の津市鳥居町)に栖碧(せいへき)山房を建て退隠し、四方の学者・文人と日夜学を語り、時局を談じました。

山荘跡に「拙堂先生山荘遺跡」が設置されていましたが、適切に維持管理を行うことが困難であるため、この度、本学事務局棟前の築山に移設し、除幕式を行いました。

内田淳正三重大学学長、㈱幸三建設代表として小田幸三氏、斎藤拙堂縁者の斎藤正和氏、津市教育長の石川博之氏、三重県議会議員の前田つよし氏、三重県議会議員の今井智宏氏、公明党三重県本部顧問の小柴博正氏、㈱創建代表取締役の坂口勝幸氏、㈱育薬支援機構代表取締役の前田俊哉氏による序幕が行われ、約3mの立派な碑が現れました。

 

碑の移設に際し内田学長は、「これまで6年間ずっと通勤途中でこの碑を見つめていた。自身の退任直前に三重大学への移設が叶い、大変嬉しく思う。三重大学の学生が、この碑を見て学業に対する想いを深めてくれれば」と感無量の表情で言葉を紡ぎました。

 
(写真右:内田学長と談笑する斎藤正和氏)

本学にご来学された折には、是非、事務局前の「拙堂先生山荘遺跡」をご覧ください。

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