リサーチセンターResearch Center
三重大学 スマートセルイノベーション研究センター
研究概要
1.研究の背景,ニーズ
バイオテクノロジー分野においては,①ゲノム解読技術の高度化などによる膨大な生体情報の迅速な把握,②AI/IT技術の進化による生物機能の解明,③ゲノム編集技術の登場等による生物機能の精緻な制御・発現を可能とする非連続的な技術革新が急激に進展しており,農林水産・食糧分野のみならず,健康や医療,環境・エネルギー,さらには工業分野まで幅広く活用され,経済・社会の変革の大きな推進力となりつつある。経済産業省では,最先端の情報処理技術とバイオ技術の活用により機能がデザイン・作製された「賢い」生物細胞である「スマートセル」が創出する新たな産業群を「スマートセルインダストリー」と定義し,2016年3月より,その可能性や日本として取り組むべき方向性について検討した。その結果,スマートセルの技術を人の身体に適用したものは,遺伝子治療や再生医療など,未来医療として大きく期待されている医療産業分野や,この技術を動植物や微生物に適用し生物体内で合成された物質を取り出して利用していく場合には,食糧,バイオ由来原材料,バイオ由来燃料を生産する産業となる。このように,スマートセルインダストリーは「健康や医療」,「食糧や農林畜水産」のみならず,「環境・エネルギー」,さらには「物質生産」といった幅広い経済社会活動に大きなインパクトを与える。また,循環可能なバイオ由来のモノに満たされた社会の実現は,真の意味で環境と調和した社会であるといえるかもしれない。
申請者(田丸)は,これまでに三重大学COE-Aプロジェクト(平成22~25年度)において,「魚類をモデルとした生物多様性と次世代型ポストゲノム教育研究拠点」に関する研究を推進した。本プロジェクトでは,脊椎動物の源流に位置する魚類に焦点をあて,その生物多様性に学びつつ,魚類に関するバイオテクノロジーおよびその応用を展開してきた。また,NEDO新エネルギーベンチャー技術革新事業(平成25~26年度)では,嫌気性微生物を用いたバイオリファイナリー研究を遂行し,未利用バイオマスからのバイオブタノ―ル製造に関する一貫システムを開発した。さらに,平成28年度からは先端科学研究支援センター・バイオインフォマティクス部門長を兼任するとともに,平成29年度からは生物資源学研究科社会連携推進室長(研究科長補佐)に就任したことから,バイオ産業分野におけるオープンイノベーションの推進,ならびに「スマートセルインダストリー」へのより一層の貢献を目指して,卓越型リサーチセンターの設置を申請するに至った。
2.研究目的
スマートセルを活用したものづくりは,既にビジネスベースでの利用のフェーズに入ってきている。すなわち,OECD (経済協力開発機構)によるバイオエコノミーの予測によれば,2030年のバイオ産業市場は全GDP の 2.7%(約 200 兆円規模)に拡大し,この 39%が工業分野となると見込まれている。一方,国内のバイオものづくり市場を見た場合,2015年においてバイオ市場全体の 11%程度を占める程度に留まっており,バイオものづくり分野は今後,特に重点化して取り組むべき分野である。また,諸外国が戦略的な取り組みを進めるなか,三重大学としても以下の4つの視点,①学内の強みを活かした戦略的な基盤の整備,② スマートセルインダストリーの社会実装の加速化,③ オープンイノベーションの促進,④ スマートセルインダストリーの制度・環境整備,からの戦略的な取り組みが不可欠となってきている。
生物による物質生産を高度化させるための技術として,(1)有益な物質を生産できる生物を探索する技術分野と,(2)有益な物質を大量に生産するように生物の機能を引き出す技術分野があり,それぞれにおいて開発を進める必要がある。(1)有益な物質を生産できる生物を探索する技術分野では,自然界に存在する多種多様な生物が持つさまざまな有用機能を探索することを主眼にしており,環境中難培養微生物等の細胞培養と有用機能のスクリーニングや,生物や環境からの有用遺伝子資源や疾患標的(バイオマーカー)の探索などを進める。一方,(2)有益な物質を大量に生産するよう生物の機能を引き出す技術分野では,探索の結果得られた生物の生育環境の最適化や,遺伝子レベルの利用や改変により機能の利活用を行う。以上の2点を遂行するためには,1細胞(シングルセル)解析技術や細胞操作を可能にするバイオ界面(バイオインターフェイス)の活用を深化させることで,スマートセルインダストリーのさらなる加速化を目指す。
3.研究内容
次世代シーケンサー(Next Generation Sequencer: NGS)の発展によって,さまざまな生物種のゲノム(全遺伝情報)が廉価で解読される時代になり,食べ慣れた魚介類や野菜・果物の品種のゲノム情報を解析することで,「先祖」や「親戚」である品種を探し当てる研究が進んでいる。一方で,ガンや認知症との因果関係についてもゲノム情報を活用することでデータベースを整備し,効率的な創薬や遺伝子検査ビジネスなどへの展開を政府が後押ししている。さらに,生命の設計図である遺伝子を自在に切り貼りする新技術「ゲノム編集」が爆発的な勢いで広まっており,遺伝子治療や再生医療などの実用化に向けた取組みが展開されている。
バイオテクノロジーは,農林水産・食糧分野のみならず,健康や医療,環境・エネルギー,さらには工業分野まで幅広く活用されている技術であり,また,公衆衛生の向上,気候変動の軽減,エネルギー供給,地域社会の発展など,幅広い政策目的に資する技術体系である。すなわち,バイオテクノロジーは,人類の食糧,生活,産業といった,あらゆる側面においてインパクトを与え得るものである。そこで,高度に機能がデザインされ,機能の発現が制御された生物細胞(スマートセル)を用いた産業群である「スマートセルインダストリー」がまさに幕を開けようとしている。
本卓越型リサーチセンターでは,情報の集積,情報の分析,生物機能の改変・発現の3分野において現在進行中の革新的技術(NGS,バイオインフォマティクス,ゲノム編集)を融合することによって,(1)生物の情報を網羅的に取得,(2)取得した情報を解析し,得たい生物機能を最適設計,(3)設計した生物機能をゲノム改変等により実現する,という一連のアプローチの基盤構築を目指す。また,このプロセスを繰り返し,生物機能情報をリファイン・チューニングすることにより,これまで利用し得なかった"潜在的な生物機能"を効率的に引き出し,生物機能を狙ったとおり最適化できるポテンシャルがあり,他の生物種が持つ有用機能を栽培,培養が容易な生物種に導入し,有用物質等を容易に生産できるポテンシャルを付与する。
(1)人工代謝経路の設計と有用物質生産技術の開発研究(田丸,岡咲,岡﨑)
生物機能を活用したものづくりの強みは,生物にしか合成できない物質を工業プロセスとして生産することが可能となる点にある。すなわち,酵素等のタンパク質や天然ゴムやセルロース等の高分子化合物は生物のみが合成可能な物質であり,生物機能を利用してこれらの生産プロセスを構築できる可能性がある。そこで,本開発研究では化石資源に依存した高温高圧のものづくりから,バイオマス等生物由来材料を利用した常温常圧のものづくりへの転換を目指す。具体的には,植物バイオマスを効率的に糖化・発酵する代謝経路を付与した微生物を創製する。また,本開発研究は堀克敏教授(名古屋大学),小杉昭彦博士(JILCAS),Lopez-Contreras博士(Wageningen UR),吉国靖雄博士(DOE-JGI)と連携・協力して推進する。
(2)細胞外小胞の解析と人工細胞の応用技術の開発(田丸,伊藤,湊元)
近年,注目されている細胞外小胞「エクソソーム」には,18-22塩基の小分子RNA(miRNA)が内包されており,細胞内でmRNAと結合してその転写を制御することが知られている。一方,キンギョ(水泡眼)の水泡液にアジュバントと混合した抗原タンパク質を注入すると特異的な抗体が誘導されることから,造血幹細胞からの成熟B細胞形成過程においてリポソームも直接的なアジュバント効果を果たすものと期待される。そこで,膜貫通型の疾患バイオマーカーの再構成過程を可視化するとともに,この標的タンパク質を含む巨大プロテオリポソームを作製してキンギョ水泡内にインジェクションすることで抗原特異的な抗体誘導の機構を解明する。さらに,キンギョ水泡内からエクソソームを単離してmiRNA解析を行うとともに,CRISPR-Cas9を組み合わせることで水泡内エクソソームの標的タンパク質の同定を行う。また,本研究開発は小澤岳昌教授(東京大学),中谷肇講師(名古屋大学),Spaink博士(Leiden大学)と連携協力して推進する。
(3)光応答制御に基づく生命現象の解明とその応用(田丸,奥村,西村)
多くの動物は光受容タンパク質である視物質ロドプシンやその類似タンパク質(ロドプシン類)により光を受容し,それを視覚情報として利用するのみならず,例えば生体リズムの調節など視覚以外の情報としても利用している。これまでに,1000種程度のロドプシン類が多彩な動物種から同定され,少なくとも8種類のグループに分類できることが分かってきた。ロドプシン類は,"光受容"という細胞機能や生体機能の入口に位置し,光受容に特化したタンパク質であるので,それぞれのロドプシン類の分子性状・性質の多様性は,生体や細胞がもつ光受容機能と密接に関連していると考えられる。言い換えれば,多様なロドプシン類を使い分けられたり,または協調的に用いられたりすることにより,動物の持つ光受容が成り立っているといえる。例えば,ヒトは9つのロドプシン類遺伝子を持っているが,その中のいくつかは機能がまだ解明されていない。ところが,ヒトには「未解明な光受容能」は,明確には存在しない。つまり,動物の光受容の全体像を理解するためには,光受容タンパク質を出発点に解析をすることが最も有効な方法の1つであると考えられる。そこで本研究では,多様なロドプシン類の性状・特徴とその分子特性をもたらす構造学的なメカニズムを明らかにすることにより,動物が持つ多様な光受容能をロドプシン類の分子進化と関連づけながら,生物多様性を理解することを目指す。また,ロドプシン類は,創薬のターゲットとして注目されている7回膜貫通構造を持つG蛋白質共役受容体(GPCR)の一種であり,結晶構造が決定され,GPCR研究のトップランナーの一つとして位置づけられている。したがって,多様なロドプシン類の分子特性を利用すれば,刺激受容からGタンパク質の活性化に至るGPCRの機能発現の分子メカニズムの解明を進めることができると考えられる。また,本研究開発は小澤岳昌教授(東京大学),秋山真一特任講師(名古屋大学)と連携協力して推進する。
4.期待される研究成果
本研究において,(1)有益な物質を生産できる生物を探索する技術分野では,自然界に存在する多種多様な生物が持つさまざまな有用機能を探索することを主眼とした分野(天然物化学,合成生物学)であり,環境中難培養微生物の培養と有用機能のスクリーニングや,生物や環境からの有用遺伝子資源の開発が期待できる。また一方,(2)有益な物質を大量に生産するよう生物の機能を引き出す技術分野では,人工細胞を活用することで探索の結果得られた生物の生育環境の最適化や,光応答性遺伝子の発現と機能を制御することで,安定した産卵や摂餌行動が促進された結果,効率的な魚介類の生産が可能になると期待できる。上記の(1)と(2)はいずれも両輪としてバイオテクノロジーの発展に不可欠な技術分野であるが,近年特に(2)生物の機能を引き出す技術分野において大きな技術革新が進行中である。すなわち,バイオテクノロジーの基礎技術である次世代シークエンサーやゲノム編集技術等の技術革新とそれらの技術が低コストで利用可能となっており,その解析や実施に必要な時間も劇的に短くなっている。これらの技術を活用し,(i)生物情報の蓄積,(ii)取得した情報の分析,得たい生物機能の設計,(iii)設計した生物機能をゲノム改変や人工細胞等により、期待する生物機能の発現が容易かつ短時間で実現できる。また上記のプロセスを繰り返し,生物機能情報をリファイン・チューニングすることにより,これまで利用し得なかった"潜在的な生物機能"を効率的に引き出し,生物機能を狙ったとおり最適化できるポテンシャルがある。この技術革新によって,経済・社会の新たな産業構造が創造される可能性があり,スマートセルの大量培養・量産化を実現し,生物が潜在的に有している機能を最大限引き出した細胞による機能性物質の大量生産を行うことで,多様な産業での応用が可能となると期待できる。たとえば,日本が伝統的に強い糖鎖工学はバイオ医薬品製造において重要な要素技術であり,バイオシミラーを製造する上でも適切な糖鎖修飾の制御が必要となる。上記技術等を利用して糖鎖の修飾部位を自在にコントロールすることで,高品質な抗体医薬等を製造が実現可能になると期待できる。
実施体制
生物資源学研究科生物圏生命科学専攻 先端科学研究支援センター・バイオインフォマティクス部門(兼任) |
教授・部門長 | 田丸 浩(代表) |
生物資源学研究科資源循環学専攻 | 教授 | 関谷 信人 |
生物資源学研究科生物圏生命科学専攻 | 准教授 | 伊藤 智広 |
生物資源学研究科生物圏生命科学専攻 | 准教授 | 梅川 碧里 |
生物資源学研究科生物圏生命科学専攻 | 准教授 | 岡﨑 文美 |
生物資源学研究科生物圏生命科学専攻 | 准教授 | 岡咲 洋三 |
生物資源学研究科生物圏生命科学専攻 | 准教授 | 竹林 慎一郎 |
生物資源学研究科生物圏生命科学専攻 | 准教授 | 増田 裕一 |
医学系研究科生命医科学専攻 先端科学研究支援センター・バイオインフォマティクス部門(兼任) |
教授 | 西村 有平 |
医学系研究科生命医科学専攻 | 特任教授 | 谷 一寿 |
工学研究科分子素材工学専攻 | 教授 | 湊元 幹太 |
地域イノベーション学研究科 | 教授 | 諏訪部 圭太 |
みえの未来図共創機構 | 助教 | アヴシャル 恵利子 |
以下,学外・海外協力者を記載。 | ||
(学外) | ||
東京大学大学院理学系研究科化学専攻 | 教授 | 小澤 岳昌 |
京都大学大学院工学研究科材料化学専攻 | 教授 | 沼田 圭司 |
名古屋大学大学院工学研究科科学生命分子工学専攻 | 教授 | 堀 克敏 |
名古屋大学大学院工学研究科科学生命分子工学専攻 | 講師 | 中谷 肇 |
名古屋大学大学院医学系研究科腎臓内科講座 | 特任講師 | 秋山 真一 |
徳島大学薬学部創薬理論化学講座 | 教授 | 立川 正憲 |
大阪公立大学大学院農学研究科応用生物科学専攻 | 准教授 | 岡澤 敦司 |
近畿大学水産研究所 | 教授/白浜実験場長/富山実験場長 | 家戸 敬太郎 |
立命館大学生命科学部 | 教授 | 松村 浩由 |
国立研究開発法人国際農林水産業研究センター生物資源・利用領域 | プロジェクトリーダー | 小杉 昭彦 |
(海外) | ||
Wageningen University and Research, Food and Biobased Products | Project Leader | Dr. Ana M. Lopez-Contreras |
Joint Genome Institute, Department of Energy, United States Department of Energy | Group Leader | Dr. Yasuo Yoshikuni |
University of Oslo, Department of Biosciences | Professor | Dr. Dirk Linke |
センター長
生物資源学研究科 教授 田丸 浩