はじめに
                                児玉克哉

うなぎには特別な思いがあります。田舎で育った私は、小学生、中学生時代には、川でうなぎとりに熱中していたのです。えさのドジョウをとることから始めるのですが、これも簡単なことではありません。ようやく集めた数十匹のドジョウを大きなうなぎ針につけ、前日の夕方に数ヵ所にわけて、川につけておきます。まだ薄暗い翌朝5時くらいに人里離れた場所に一人で行き、うなぎを引き上げるのです。一匹もかかっていないときもあれば、数匹の収穫のあるときもありました。かかっていたときの喜びは、何にも代え難いものでした。もちろん、収穫のあった日は、天然うなぎの蒲焼きです。ほどよい脂と香ばしいかおり。鰻屋に行くと、今でもあのときの感動が蘇ります。

津に来て驚くのは、その鰻屋の多さです。人口16万人の都市に、たくさんの鰻屋がひしめきあっているのです。なぜこんなに多いのか?津のうなぎ屋の味の特色は何か?などという疑問が沸き上がってきます。わからないなら調べようということで、私の共通教育ゼミの学生5人が、うなぎ調査隊を結成し、美味しい調査に乗り出しました。短時間での調査でしたから、美味しいわりには、物足りない感じもありますが、ともかくこの結果を多くの人と共有したいと思います。ご協力いただいた津の鰻屋の方々にお礼申し上げます。



鰻について
           (平野順三、志富田剛、野田幸真、水野茂雄、内藤恭崇)

私たちが普段から慣れ親しんでいる「ウナギ」は日本では古くは万葉集に「武奈伎」、「牟奈伎」として記されています。そのムナキから始まった名称は、ムナギ、ウナキ、ウナギと転じて現在に至っているそうです。

日本の鰻の分布状態を見てみると、太平洋海区が最も多く、しかも利根川以南の海域が最大量を示しています。日本海区は太平洋に比べてはるかに少なく、太平洋区のわずか9.3%に過ぎません。東シナ海に面する九州地区の量は、日本海域よりも多量で、能登半島以北は急激に減少します。つまりニホンウナギは、温帯性で、漁獲量は、緯度が高くなるに従って減少が激しいことと、太平洋面と日本海面との漁獲量には著しい相違があることがわかります。

鰻の発祥地はどこなのでしょうか。祖先に最も近い古い型の鰻は、北部セレベスやボルネオ東部の赤道付近、ニューギニアの南端、フィリピンの中部など南太平洋の赤道付近に分布しており、これらの温暖な地域が鰻の発祥地だと考えられているようです。

ところで、鰻の表皮はにゅるにゅるとしていて、つかもうとしてもなかなか捕まえることができません。あのちょっと気持ち悪いにゅるにゅるは、なぜあるのでしょうか。

鰻は、海水にも淡水にも住むことができます。つまり鰻は、海水魚と淡水魚の両方の能力を持っていて、塩分の変化に対して広範囲で調節することができるのです。鰻の皮膚にはよく発達する粘液細胞(粘液はムチンから成っています)があり、乾燥すると白色の粉末となって、水に溶解しにくく、アルカリには容易に溶解し、再び粘液となる性質があります。この粘液が不透膜となり、水を通さない役割を果たし、淡水から海水に移されても生きていけるのだそうです。鰻の表皮にあるこの粘液とその分泌細胞をタオルで軽く摩擦して取り除いて水の中に入れておくと、鰻はついには死んでしまいます。これは防水性がなくなり、体内に急激に水が侵入し、腎臓の機能がそれに十分に対応できず、水膨れの状態になってしまうからです。

次にそのグロテスクな体からは想像もできないほど美味しい鰻料理について調べてみます。

鰻といえば蒲焼きを思い浮かべるほど、蒲焼きは鰻の真価を発揮した日本独特の代表的な料理法です。この蒲焼きの起源については諸説がありますが、ここでは、主な五つの説を挙げてみましょう。

・かんばしい香りが早く人の鼻にはいるということから、香ばやが転じたとする説。
・昔は長い丸のまま縦に口から尾まで竹串に刺して塩焼きにしていたが、その形が蒲の穂に似ているので「がまやき」といい、それが後に転訛したとする説。
・鰻を焼いた時の色が樺色だとか、樺皮に似ているから樺焼きに転じたとする説。
・椛(さくら)の皮をすいて竹串の代わりにはさんで焼く、椛の皮をかばということからという説。
・蒲鉾から転訛したとする説。

これら五つの説は、それぞれ昔(平安から江戸)の文献に載っており、これだ!と一つに限定するのは専門家でも難しいようです。

興味深いのは、蒲焼きの方法が関東と関西で異なっていることです。このことはすでに二鐘亭半山が1781年に「見た京物語」の中で指摘していることです。

関東流は背裂きにして、二つに切ってから竹串に刺し、皮の方から焼き始めるのに対して、関西流では、腹裂きにして、背鰭、尾鰭、頭をつけたまま、金串に刺して、焼く時は肉の方から始めます。また関東が背裂きなのは、武士が「腹を切る」というのを嫌ったためとも言われています。

津の鰻の蒲焼きはどうなのでしょうか。津市は一応、地理的にも関西圏に入っていることもあり、ほとんどの鰻屋が関西流です。しかし最近は交通機関の発達と住人や料理人の交流とで、蒲焼きを作る方法や味付けの相違も薄れつつあります。はっきりと関東流、関西流とわけることは難しくなってきても、店の間の味の差異は大きいものがあり、地域間の差よりも店間の差が感じられる時代となっているように思われます。

蒲焼きの作り方は一見簡単なように見えます。しかし、「串は三年、蒸しは八年、焼きは一生」と言われるくらい実は大変難しいコツが必要とされるものなのです。知れば知るほど奥が深くなっていくのだそうです。

また鰻は蒲焼きや鰻丼の他に、多数料理の種類があります。例を挙げると、白焼きにしたものを山椒しょうゆで食べるもの、刺身、酢の物、肝焼き、肝吸い、煮もの(柳川鍋など)、椀もの、蒸しもの、揚げもの、などなど種類は豊富です。こうした料理を勉強して、鰻屋にいくともっと楽しく食べられるでしょう。

このような鰻を食べるのに一番良い時期はいつでしょうか。私たちは、鰻といえば夏、それも土用の丑の日を思い浮かべます。それはそれで、美味しいのですが、本当の旬は冬なのだそうです。鰻は脂がおちた冬が一番の旬で、一年で最も美味しいというのです。ちょっと驚いてしまいます。もっとも、いつ食べても美味しく、一年中が旬といった方が当たっているのかも知れませんが。

次に鰻の栄養価を見てみましょう。鰻の蛋白質・脂肪分の含有率は、牛、豚、鶏卵、牛乳よりも多量で、また鰻肉は繊維が極めて少量なため、牛肉や豚肉より消化しやすいのです。加えてビタミンAの含有量が鳥獣肉や他の魚肉に比べて極めて高いのです。(天然のものの方が養殖のものよりも多い。)これらのことを総合して考えると、「鰻を食べるとスタミナがつく」ということが容易に納得できるのです。

最後に

最後に私たちの最大の疑問点である「なぜ津に鰻料理店が多いのか」ということについて考えてみましょう。なんといっても人口に対する鰻の消費量は日本一と言われるのですから、相当なものなのです。

しかし、津と鰻を結び付ける決定的要因はなかなか見つからないのです。「津には昔、養殖場があったから」「海沿いの町だから」「津市民が味に贅沢だから」などが挙げられますが、どれも決定力に欠けるのです。

あえて挙げるとすれば、「津の鰻屋が美味しいから」ということになるのでしょうか。

(参考文献:『うなぎの本』松井魁著 柴田書店/『ウナギ−特産シリーズ』飯塚三哉著 農山漁村文化協会)
うな重イラスト
津のうなぎ