- 学長通信 -

三重大学長ブログです。

タイ・チェンマイからミャンマー・マンダレーへの旅

昨年11月にタイ・チェンマイを3大学ジョイントセミナー出席のため訪問。このセミナーは三重大学とチェンマイ大学と中国江蘇大学の3つの大学が主催で学生の発表を中心とするユニークな国際会議です。各大学が持ち回りで担当校となり今回で21回を迎え、参加大学や出席者も増え21大学から200人以上が集まりました。私のチェンマイ訪問はこれで5度目、楽しい記憶の残る町です。今回はわずか1日足らずの滞在でしたが、チェンマイ日本総領事と親しく話をする機会を得ました。この後ミャンマーのヤンゴン、マンダレーを訪問することを伝えると、チェンマイ・マンダレーの間の山越え陸路の話をしてくれました。1,800以上のカーブがある悪路のため、アドベンチャーではあるが印象深い道であることを教えてくれました。太平洋戦争中にビルマ(ミャンマー)戦線から撤退のため国境を越えてチェンマイに、そこから鉄道でバンコクへ、そして本国へ帰還。マンダレーからの山越えは空腹と疲労と敗北感での行軍であるため多くの戦士が道ばたに倒れ、命を落とした白骨街道となりました。今でもいくつかの墓標があるようです。小説「ビルマの竪琴」の中にもその悲惨さが表現されています。

民主化?されてわずか2~3年のミャンマーです。この国はかつて東南アジアで最も豊かで有数の大国でした。チーク材をはじめ石油などの天然資源が豊富で、人的資源も優れ、識字率は高く、独立後は東南アジアでも早く成長軌道に乗るだろうと考えられていた国でした。それがその後の内乱や鎖国的経済体制などにより最貧国と認定される一つになりました。成長するのには時間がかかるが、没落は一瞬である典型例でしょうか。

主要農産物は米で、農地の60%を水田が占め、三毛作が可能です。また、宝石の産出量も多く、世界のルビーの9割を産出し、サファイアも品質の高さで有名です。うらやましい限りです。しかし、私がとても買えそうにない高価な宝石は美しい輝きを放って「素敵だな~」と思いますが、私が買える値段のものは「こんなものか~」と大した感動を呼びません。

高い可能性を秘めてはいますが、まだまだこれからの国です。ヤンゴン空港からの都心への道は整備不十分と交通渋滞のため目的地までの時間が計算できませんでした。ほとんどが日本の中古車で車内外の表示は製造当時のままです。日本の企業名である何々建設や○○食品の車が走っています。これはロシア・ハバロフスクでもザンビアでも見られ、日本車が世界を席巻していることがよく分かります。新車だけでなく中古車もそうです。

ヤンゴンからミャンマー第2の都市であるマンダレーへ。30人乗りの小さなプロペラ機で向かうが、案内のアナウンスも無いし、表示もないのでいつ搭乗してよいのかよく分からない。待合室でじっと様子をうかがわなければ不安になる。ミャンマー通の笠井裕一医師に聞くと、人数がそろい次第出発で、座席指定が無いこともあるとのことでした。インドネシア・カリマンタン島の飛行機もそうでしたが。マンダレー空港でわれわれを含めて15人ほどが降機したのですが、いくら待っても誰の荷物もベルトコンベアーから出てこない。待つこと30分全く別の所で荷物を発見、ホッと一安心でした。

しかし、それから波乱が続きました。マンダレー一のリゾートホテルに到着。確かに欧米並みの外観でフロントも立派なたたずまい。一流ホテルらしくチェックインはホテル側で行うからロビーで冷たい飲み物でもと言われ、ここでも待つこと30分。やっと鍵を渡されて部屋の前まで案内されました。ドアには鍵穴はなく、びっくり仰天。ごく最近カードキーに変更したようでした。ホテルの人が大慌てでカードキーを取りにフロントまで走るがなかなか帰ってこない。ここでも30分。別の鍵を持って帰ってきて、この部屋は使えないので別の部屋へと言われ、そろそろ皆さんの我慢も切れかかるが、そこは大人、何とか持ちこたえ、到着から1時間以上経過して入室。外観の体裁は整えたが、ソフトは無茶苦茶。

最後のおまけは強烈でした。マンダレーからタイ・バンコク経由で早朝に羽田へ。当日と翌日は東京と信州松本での会議に出席のため羽田着としていました。マンダレーの空港でチェックイン時に係員がモタモタしていましたので「大丈夫かな~」と一瞬不安がよぎりましたが、案の定、不安が的中。早朝の羽田でいつまで経っても荷物が出てきません。係員も航空会社の下請けとあって至って事務的で実につれない対応。私はそれからが大変。ユニクロで下着一式を整え、会議のための靴、さらにはブレザーの購入と走り回りの半日でした。大散財でしたが、特に持ち出し費用は返還されませんでした。結局、荷物は1日遅れで羽田へ、そして自宅へ。私よりは早く自宅に到着していましたが。

多くの困難を経験しましたが、ミャンマーは楽しい国です。三重大学の支援がこれからの発展に大いに貢献することを願っています。

笠井裕一医師の仮説を紹介してこの稿を終えます。ミャンマー人は男性も女性も歩き方が美しい。上下動がなく、ゆっくりと歩くとのこと。その理由はロンジー(巻きスカート)の下に下着を着けていないからだと唱えます。確かに昔の着物姿の日本女性は美しい歩き方だったような気がしますが、ミャンマーの話の真偽は?