- 学長ブログ ある地方大学長のつぼやき -

三重大学長の「つぶやき」と「ぼやき」のブログです。

"七ころび人生"奨学金について
~渡邉文二さんの生き方に学ぶ~

   今日は“七ころび人生”奨学金のお話をしましょう。

   “七ころび人生”奨学金とは、私がかってに呼ばせていただいているもので、本当は「三重大学生物資源学部・渡邉文二奨学金」と言います。

watanabe4.jpg     この奨学金は、三重県四日市市にある三昌物産株式会社の創業者、渡邉文二さんの篤志により、2004年から始まった奨学金制度です。農業、畜産業、水産業などの研究や事業に携わる意欲を持ち、特に経済的に困っておられる学生さん(学部学生2名、博士前期課程1名)に毎年贈られています。7月1日(火)にその採択結果の伝達式が、キャンパス内の登録文化財「三翠会館」でおこなわれました。

watanabe3.jpg    生物資源学研究科長の田中晶善さん、教育担当副学長の野村由司彦さん、この奨学制度の仲立ちをしていただいた四日市フロントの相可友規さんなど、関係者の立ち会いのもと、渡邉文二さんから学生たちにお話をしていただき、通知書を渡していただきました。

   渡邉さんは大正12年(1923年)、鈴鹿郡石薬師村(現鈴鹿市石薬師町)のお生まれです。今年で85歳になられるのですが、ご自身の歩まれたご経験にもとづくしっかりとした経営哲学からのお言葉は、聞く者に共感を呼び起こします。

   渡邉さんの青春時代は、日本が大恐慌から戦争へ向かった激動の時代で、娘を身売りするようなこともおこなわれたほど経済的に苦しい時期でした。子供を中学校へ進学させられる余裕のある家庭はわずかで、村で1~2人だったとのことです。渡邉さんは、中学までは行かせてもらいましたが、大学への進学は諦めざるをえませんでした。そして、戦争の始まった昭和16年に四日市の塩浜にあった海軍の燃料軍需工場の工員養成選科生となり、翌年、新潟県の長岡高等工業専門学校の応用化学に派遣学生として1年間の貴重な学ぶ機会を与えられました。そして昭和18年には海軍に入隊し終戦となりました。

   渡邉さんの自叙伝「七ころび人生」を読んでいただくと、終戦後の焼け野原の中から、食べていくために魚油の商売を始め、何度もどん底から這い上がり、苦しい時には助けてくれる人にも巡り合い、不屈の精神で三昌物産を創業された経緯がよくわかります。 

watanabe2.jpg   学生さんへのお言葉の最後に、渡邉さんは人と人とのコミュニケーションの大切さを強調されました。人に頼む時には頭を下げ、支援をしてもらった時にはお礼を言い、迷惑をかけた時は謝る。世間の常識であるこの一言から、人と人とのコミュニケーションが始まる。

    また、奨学生たちが、その後どのように過ごしておられるのか知りたいので、年一度の年賀状でいいので連絡してほしいという希望を述べられました。

   大学で勉強したかったのに、その夢がかなえられなかった渡邉文二さんが、不屈の精神で積み重ねられた“七ころび人生”。今までお世話になった世間への恩返しであるという奨学金の意味を、若い人たちにはずっと後世まで伝えていただきたいと思います。