- 学長ブログ ある地方大学長のつぼやき -

三重大学長の「つぶやき」と「ぼやき」のブログです。

しっかりとした学術研究が熊野古道の価値をいっそう高める
~美し国三重シリーズ(2)~

古道2.jpg     4月29日に世界遺産の熊野古道へ日帰りでいってきました。亀山を朝の6時すぎに出発し約2時間半のドライブで尾鷲市に到着。山々は、ひのき林の深い緑と、ナラなどの落葉樹の若々しい緑、そしてシイの花の淡い黄色とでモザイク状に濃淡が生じ、すがすがしい新緑の季節を感じさせます。

   熊野古道センター近くの大曽根浦駅からJRに乗り、三木里駅で下車して、いざ、熊野古道一の難所と言われている八鬼山越えに挑戦しました。(やきやまごえ:海抜627m、11km、約4時間半の行程)

   三木里側の入り口には白い文字で世界遺産登録反対と書かれた看板があり、少し入っていくと木の幹にも書かれています。あらかじめネットで調べて、八鬼山にはこのような看板などがあると知っていたので心の準備はできていましたが、何も知らずにこられた方はちょっとびっくりされるかもしれませんね。

    名柄一里塚を過ぎると、ひのき林の木漏れ日の中を石畳がずっと続いていく典型的な熊野古道の光景になります。しだいに急な坂となり、汗が噴き出してきて、タオルでしょっ 古道6.jpg ちゅう顔を拭かなければなりませんでした。これは、体脂肪が燃えている証拠なので、「メタボ対策に最高!」と自分を励ましつつ、頂上を目指します。

   ところどころのせせらぎ、苔むした岩、小さな花々が疲れをいやしてくれます。途中で「明治道」と「江戸道」に分かれますが、江戸道を選びました。最初は、頂上近くの「桜の森エリア」でおにぎりを、と思っていたのですが、がまんできずに途中の「十五郎茶屋跡」で食べました。昔はこんな山の中に茶屋があって繁盛したとのこと。この急な細い山道が「街道」であったことがわかります。 古道4.jpg

   やっとの思いで「さくらの森エリア」に到着。この日は少しかすんでいましたが、ここからの熊野灘の眺めはほんとうに絶景です。ベンチでお弁当を食べておられた地元の方に、反対の文言について聞いたところ、「これはお二人の地権者が書いておられるもので、尾鷲側の「落書き」は赤い蛍光ペンキで書かれており、もっとどぎついですよ。早く解決してほしいものです。」とおっしゃっていました。 

古道1.jpg   尾鷲側へ下りていくと、石畳の道の傍らに地蔵や巡礼墓碑が数多くたたずみ、三宝荒神堂という神社や茶屋の跡があります。そこをこえると、うわさの通り、ところどころの樹木や岩に、けばけばしい「落書き」が書かれていました。

古道3.jpg    急な石畳の坂を下りきって尾鷲の熊野古道センターに到着した時には、両足がガクガクになっていました。海洋深層水をいちばん体が温まるように調製したという湯につかって、汗を流しました。実は尾鷲の海洋深層水の開発には三重大の先生が協力しているんですよ。

古道5.jpg    風呂上りのさっぱりした体で熊野古道センターの展示室へ。文化遺産としての知識を勉強すると、熊野古道の魅力が何倍にもなりますよ。実は、この展示には三重大の人文学部教授の塚本明さんや生物資源学部名誉教授の武田明正さんたちが協力をしています。また、人文学部とセンターとの間で協定が結ばれ、それに基づいて「伊勢湾・熊野地域研究センター」(人文学部内部の研究組織)の分室が、センター内に設置されました。塚本さんが分室長で、コーディネーター(学芸員)の縣拓也さんと、全国の道中記の調査・研究を進めておられます。また、ここを核にして、熊野方面も含めて地元市民の皆さんとネットワークを作り、共同調査なども行っています。

   塚本さんが昨年の「全国歴史の道会議三重県大会」で講演された記録を読むと、熊野街道伊勢路の価値がほんとうによくわかります。( 詳細.pdf

   熊野古道は「霊場と参詣道」と して登録されていますが、この意味は、参詣のために作られた道ということではなく、本来は「生活道」であり、参詣者がこの道を利用したという意味です。また、「文化遺産」として登録され、これは人間と自然とのかかわりあいの結果できる景観を大切にするという意味であり、林業など住民の生業を制限するものではないということです。どうも、最初このあたりの理解に誤解もあったようです。古道センターなどができた一方で、生業に支障が出るとして世界遺産の登録に反対している地権者による八鬼山の「落書き」は、文化遺産を保全する難しさ、大学が地域社会と関わっていく時の難しさを、象徴的に示しています。

   しかし、そのような問題があろうとなかろうと、文化遺産としての熊野古道の価値は、いささかも低下するものではありません。しっかりとした学術研究が世界文化遺産としての熊野古道の価値をいっそう高めてくれることでしょう。