- 学長ブログ ある地方大学長のつぼやき -

三重大学長の「つぶやき」と「ぼやき」のブログです。

「個」と「普遍」の相克
~看護学科10周年記念事業にて~

    今回は、何やら哲学的なテーマですね。そうなのです。5月2日に三重大学医学部看護学科設立10周年記念事業があり、 記念講演として、三重大の元学長の武村泰男さんが「看取るということ」というお話をされたのですが、そのポイントが『「個」と kango6.jpg 「普遍」の相克』ということでした。武村さんは(財)三重県文化振興事業団の理事長をおつとめですが、三重大の元教育学部 長でもあり、ご専門が哲学なのです。

   武村さん一流のユーモアあふれるおだやかな話し振りで、この難しそうな哲学的テーマについてわかりやすく説明をされました。以下は、武村さんのお話を聞いて、そのさわりの部分についての私の理解です。

    『さまざまな患者さんの共通の部分を取り出して、ある「病名」をつけることは「普遍化」する、あるいは「抽象」するということであり、医学を含めて自然科学というのは、このように「普遍化」あるいは「抽象」するという行為である。

   しかし、たとえば、「がん」という同じ病名の患者さんでも、個々の患者さんによって苦しさや痛みはずいぶんと違う。そして、一人ひとりの患者さんがどのように感じ、どのように苦しんでおられるかを他人が理解することは非常に困難なことである。

   看護は、患者さんを「看護学」という学問として「普遍」的に位置づけると同時に、個としての患者さんを看(み)る必要がある。このような自然科学の追求と個の理解の相克に毎日立ち向かわなければならない看護師さんやお医者さんはたいへんな仕事と思われる。』

   私が考えるに、武村さんのおっしゃったことを別の言葉でいえば、患者さんを「病気」として扱うのではなく、「人間」として接することが大切であるということだと思います。これは、医療だけではなく他のすべてのサービス産業や、人間関係においても当てはまるのではないでしょうか?たとえば、ファーストフードの店で時々感じる、いかにもマニュアル化された受け答えは、抽象化された「客」に対する対応であり、個々の「人間」に対する対応とは感じられませんね。 kango1.JPG

    さて、式典で医学部長の駒田美弘さんの式辞のあとの私のあいさつでは、本学看護学科の歴史は昭和23年(1948年)開校の「三重県立医科大学附属医院厚生女学部」に始まり、医学部附属看護学校、短期大学部等を経て、10年前にようやく4年制の大学の仲間入りをしたのですが、これはわが国の看護師さんのレベルアップと地位の向上を目指した長い苦闘の道のりであったことをお話いたしました。(挨拶PDF

kango7.jpg    また、次にあいさつをされた三重県看護協会会長の山口直美さんは、医学部長の駒田さんや私が生まれる前にできた厚生女学部の卒業生であられたことがわかりました。この地域の看護医療の発展にずっとたずさわってこられた方なのですね。

   祝賀会では、私も含めていろいろな先生方や関係者が挨拶をされましたが、とりわけ現場で働いておられる卒業生の皆さんのあいさつは、まだ卒業して年数がたっていないにもかかわらず、とってもしっかりとしておられ、看護学科から kango4.jpg たいへん有能な看護師が育っていることがうかがわれました。これは教員の先 生方や看護学科および附属病院関係者の皆さんのご努力の賜物と思います。それと同時に、日本の看護学と看護医療が名実ともにレベルアップしつつあることを感じました。

   看護に携わる皆さん、わが国の地域医療の崩壊に歯止めがかからない状況の中で、たいへんなこととは思いますが、これからも「個」と「普遍」が調和する看護にいっそうの磨きをかけてくださいね。