古文書に書かれた日本語を探して
 ~日本の「外」から日本語を捉え直す~

2015.6. 1

古文書に書かれた日本語を探して
 ~日本の「外」から日本語を捉え直す~
人文学部・准教授 川口 敦子

日本語研究、だけど外国

スペイン国立図書館

「日本語なのに、なぜ外国へ?」
研究のためにイタリアやスペイン、ポルトガル等に行くと言うと、よく質問されます。
16世紀末に来日したキリスト教の宣教師は日本語を学習し、辞書や翻訳書を作り、そして日本について記した報告書や手紙を世界各地に送りました。そこにはヨーロッパの知識人の目を通した日本の姿があります。また、ローマ字書きの日本語は、仮名ではわからない発音の手がかりとなる、当時の日本語を知る一級の資料です。こうした文書は江戸時代の弾圧によって日本にはほとんど残っていませんが、ヨーロッパの図書館や文書館には今も大量に残されています。しかし、そのほとんどは、現地でしか見ることができないのです。

先生の訪問地本の写真

キリシタン版の日本語はどこまで「生の日本語」か?

天草版『平家物語』などの「キリシタン版※」は、ご存じの方も多いでしょう。当時の日本語の話し言葉がローマ字で書かれた、日本語学習のための教科書で、日本語史の資料としてとても有名なものです。ただし、「教科書」という性格上、いくらか規範的な日本語で書かれている可能性があります。現代でも、教科書で覚えた外国語と現地で実際に使われている言い回しが少し違う、ということがありますよね。その上、印刷本は編集過程で校正が入ったり、印刷機の技術的な都合で綴り字が変えられたりするので、必ずしも本当の「生の日本語」がそこにあるとは限りません。
※16世紀末から17世紀はじめにかけて、キリシタンが主に日本で出版した活字本のこと

手書きの古文書から日本語を「発掘」する

そこで私が注目しているのは、「教科書」よりも実態を反映しやすい手書きの文書類です。個人のクセや誤りも勘案して分析すると、当時の日本語の実態がよりよく見えてきます。こうした古文書は数が膨大で、電子化とオンライン公開を待っていられません。時間の問題だけでなく、電子化の際のミスや解像度の問題もあるので、やはり実物を見に行くのが一番です。古びた目録を紐解き、お目当ての文書を探し出す――実に手間が掛かりますが、ワクワクする作業でもあります。どんな日本語があるのか(ないのか)、そこから何を読み取るべきか。日本語の歴史研究には、そんな宝探しのような楽しさがあります。

【この記事は『三重大X(えっくす)vol.33』(2015年1月発行)から抜粋したものです】